お互いが機先を制すべく大声を出した――が。
声はぴったりと揃った。
「何してんの! こんなとこでっ」
どんな格好で、どんな場所でも、幼馴染みの顔を見間違えるわけがない。
緒方隼人は狼狽した。「まさか……有華が岩戸紗英の運転手!? お前の職場って研究所じゃなかったのかよ! 国分寺だろっ」
「こっちの台詞だ! ……いっちょまえの警察官みたく、職務質問するつもりじゃないだろね、この私に。幼なじみの、かわいいかわいいユカリンにぃ」
「しょうがないだろ、仕事なんだからっ」
自分が知る限り、常代有華の職場は総務省傘下の研究機関NICT(独立行政法人・情報通信研究機構)。生まれ育った国分寺の実家から徒歩圏内。霞ヶ関でもなければ、ましてや超高級ホテルの地下駐車場であるはずがない。
有華はとぼけている。応戦の構えだ。
ならばと緒方は車の中を強引に覗き込む。
「後ろ、何乗せてるんだよ」
「何でもいいじゃん」
近づく顔を押し返そうと、有華は平手を窓の外へ突き出した。それをひょい、とかわして緒方は言う。
「おかしいだろ。車ん中に暗幕なんて張るか普通。其の中身……」
「ぱんつ」
「おい」
「何? 乙女のクローゼットを覗くつもり? さすがぁ、二年目にして警官らしく不祥事かねキミ。出世が早いのぅ」
「もうちょっとマシなウソつけよ……ん? それ動いてないか?」
車の後部座席を被う暗幕が、微かに揺れた。そう見えた。緒方は窓の中へ頭を突っ込み、暗幕の中身を覗き込もうと手を伸ばす。
すかさず有華の右の平手が自分の顔面を捉えた。押し出される。
「やめろ空手馬鹿。エッチスケベ変態っ」
「ぐぬ……」
そのときだ。暗幕の中から声がした。「パンツちゃうで。パンティやで」
緒方は仰天した。「げ!? 喋ったぞ! しかも関西弁」
暗幕は喋り続ける。「あ、くっさいから暗幕かけてますぅ。めくると死ぬでぇ」
今度は有華が仰天した。「げげ!? 私の下着が匂うみたいな言い方、しないでくださいっ」
喋る暗幕は自ら揺れ始めた。程度の低い、お化け屋敷が如く。「ぷぅうううーん」
緒方は手を伸ばし、暗幕をめくりあげようとする。
「誰だっ、誰だそいつ!」
その手を必死で有華が払いのける。
「見るな、見るな!」
二人のボクシングファイトになった。やがて緒方が有華の腕を掴む。
「お前……わかってんのか」
「……何」
緒方は衿に仕込んだマイクを握りこみ、その上で言った。
「岩戸紗英は要注意人物。魔女って噂だ。公安が………警察が見張ってる」
緒方が言い直したのを有華は聞き漏らさなかった。
「ふーん。あんた公安に配属されたんだぁ」
失敗したと思いつつ、掴んでいた有華の腕を開放する。「魔女の運転手なんてやってたらお前、巻き込まれるんだぞ」
「そうぉ? 公安のイヌより、魔女の運転手の方がかわいいじゃん」
「監視対象だって言ってんの! 警察の敵になっていいのか」
「だから?」
「……」想定外の反応に緒方は絶句する。
「だから?」
「…………何、とぼけてるんだよっ」
緒方は憤慨した。常代有華が警察の敵になるなんて、あってはいけない事。そこは共通認識の筈だ。ところが当の有華は意に介していない。それが腹立たしい。
じっと有華の目を見る。心配しているんだぞ、という意味を込めて。なのに当人は――あろうことか苦笑して、こう告げた。
「ねぇ……あんた、エリート警察官なんでしょ? 後ろに誰かいることぐらい、気づけって話」
迂闊だった。
緒方は頬を紅潮させて、振り返る。
自分のすぐ背後で女性が立ちすくみ、目を丸くしていた。グレーのスーツにショートヘア、メイクも淡い。総じて地味めにおさえているのは、整った目鼻立ちのせいで派手にみえるのを避ける工夫だろうか。おかげで美しさと賢しさが完璧に同居している。
警察幹部すら手玉にとるという、噂の女。
「ごめん。立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど」
常代有華の待ち人が――自分にとっての監視対象が、そこに居た。
「ああっ、あ、あのぅ」
緒方は何か反応しようとするものの、上手く言葉を紡げない。そんな若造を前にして、岩戸紗英はにっこりと微笑んだ。
「魔女でーす。よろしくね、公安の、イヌ? というか……子犬君」
余裕綽々で握手さえ求めてきた。
