第0話(四)

 砂堀は当然のように言ってのけた。けれど津田沼には見覚えがない。焦る。こういう場面で「知っているでしょ」などと紹介されて知らないとは答えられない。むしろ恥をかくのだ。
(こういうのがパワハラっていうんだよ)
 心の中で砂堀を詰りつつ、仕方なく津田沼は笑顔を作った。どうとでもとれる笑顔を。
「あんまり有名人扱いしないでくださいね。たかが役人、みなさんと同じ公僕です」
 美魔女が軽く会釈する。津田沼は好印象を持った。岩戸には二人ほど連れ立つ年配の男性がいて、その連中にも紹介されるだろうと津田沼は覚悟したが、わが上司にはその気がなさそうだった。
「岩戸さんは、うちの係長をご存知なんですよね?」砂堀が切り出す。
 自分達が所属する公安総務課十二係の長、紫暮。津田沼はまだ顔を拝んだことがない。砂堀は紫暮の留守をあずかる「係長補佐」らしいが、実質的にはチームリーダーである。
「紫暮阿武……が、君たちの上司らしいわね」と岩戸。
「はい。彼が岩戸さんに挨拶しておけ、と言うんで……できれば好かれておくように、と」
 砂堀はメディア向けの笑顔を作っている。
「正直なのね。計算高くない感じ。だから好感度は高い……さすがだ」
「いいえ、岩戸さんには敵わない。聞いてますよ、会った瞬間心を持って行かれるって」
「そんな事言ったの? アイツ」
「言われたというか、電子メールですけど……unknownってアドレスで。名前が阿武だからunkownってことですかね? 彼について僕が知ってることは、ダジャレのセンスだけ」
「もしかして、まだ会ったことがないとか」
 砂堀は頷いた。「ずいぶんと長らく出張中のようで。いずれ会えるんでしょうけど……仕事はほとんど丸投げされてます」
「ふぅん。ハッカー集団なら放任は歓迎じゃない?」
 突然、仲本繭が口を開いた。「ルーズなんで、むしろ管理してほしいなと思います……じゃないと、机が散らかり放題になる」
「そうなの?」と岩戸。
 繭が津田沼に向き直り、にっこりと笑った。「だよね?」
 あのポーカーフェイス美少女が、とろけるような笑顔を見せたことに津田沼は唖然とした。岩戸に媚びているのか、あるいは砂堀にか、その両方か――いずれにせよ、自分と二人きりでは全く見せたことのない表情だ。
「……ですね。ほら、俺なんて明らかに自己管理できなさそうでしょ?」
 津田沼はお得意のデブキャラ自虐ネタを披露しつつ、繭に調子を合わせる。
「ふふ。確かに警察にはいないタイプかも。オーラが違うなぁ」
 岩戸は連れの中年男二人に皮肉を投げたのだろう。津田沼は色白と色黒のおっさんコンビが生粋の警察官僚、それもかなりのお偉方だと見当をつけた。たぶん自分の上司の上司のそのまた遥かに上の上ぐらい。
 白黒コンビは苦笑しつつ、じゃあ、と会釈してその場から立ち去った。砂堀が頭を下げるので津田沼も頭を下げる。驚いたことに繭も深々と頭をさげていて、しかも腰を折る時間は津田沼のそれよりも遥かに長かった。普段の雑な態度からは、あり得ない事だ。
 砂堀は頭を上げると、岩戸に向かってこう切り出した。
「……あのお偉方、片っ端から東大でしょ? あいつはボート部だとか何とか教授のゼミだとか。僕らなんて外様もいいところ……逆立ちしてもあんなオーラ、出ません」
 長髪男の謙遜に津田沼は辟易とした。慶応出身だってかなりの高学歴だ。それを敢えて口にしないところが、あざとい。
「あら。じゃあ私も彼らと同じオーラ?」
「岩戸さん……は別かな。東大っぽくないっていうか。ちなみに、仲良くなっておけって指示があった場合、部下としてはどこまですべきですかねぇ。一杯ぐらい、おつきあい願うべきか否か。豪華なホテルだし、立派なバーカウンターもある」
 砂堀はまわりくどい言い方をして、岩戸を飲みに誘う。
「ふぅん……なんかヤダ」
「え?」
「誘いたいならストレートにね。じゃないと、せっかくの好感度が下がるわよ?」
 津田沼ははっとした。手練手管に長けていそうな伊達男の物言いを、美魔女の強かさが上回っていると感じられる。
 案の定、砂堀は苦笑いしていた。「まいった。まいりました」
「あはは。今夜は遠慮します。車を待たせているの」
「……申し訳ない」砂堀は唐突に、謝意を露わにした。「我々の立ち位置って、岩戸さんにとっては迷惑でしょう。違いますか?」
 どういう意味か津田沼には解せなかった。
「だからぁ……好感度上げようとするの、悪い癖よ。電網庁も出来る限り応援させてもらう。紫暮阿武とは、知らない仲じゃないし」
 美魔女は踵を返し、大理石の床でヒールを鳴らした。砂堀がその背中に声をかける。
「……我々が警察をクビになったら、電網庁で拾ってください」
 岩戸は軽く振り返り、小さく手を振った。
「考えておくね」
 圧倒的だ。津田沼はそう思った。よくわからないが、どうやら砂堀はあしらわれた。もっといい男じゃなきゃ相手は務まらない。お呼びじゃないんだ。
「じゃ、我々だけで一杯やる?」
 砂堀が言う。津田沼の方を向いて。
 魂胆はわかっていた。どうせ本命は繭。俺に早く帰りたい事情があると承知の上で、断られる前提でこいつは尋ねている。美魔女にフられた鬱憤晴らしで、部下の小娘を連れ回したいだけ。津田沼はそんな風に訝しんだ。
「あ……ちょっと用事有るんで」
 眼鏡女子の態度がうってかわって硬くなった。津田沼はほくそえむ。にしても、さっきまでのとろける笑顔は何だったのだろう。
「津田沼君もダメなんだっけ」砂堀は敢えて問うてくる。
「すいません」
「なんだよ……モテねぇなー、俺」
 砂堀は長髪をかきあげた。その仕草が津田沼は気に入らない。「モテねぇな」という台詞すら、気にくわないのだ。

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