第0話(三)

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 二人はエレベーターで東京ミッドタウンの広大な地下駐車場へと移動した。ポルシェやベンツといった高級車の並びを前に、飯島が足どりを緩める。それにあわせて緒方も歩くペースを落とす。
(黒塗りの車が目立つなぁ)
 官用車が十数台。要人警護が役どころのSPらしき姿も、その傍にちらほらとうかがえる。
 ところが。
「お前、アレが見えるか」飯島が指差した先には、およそ官用車らしからぬ、とびきり目立つ薄緑色の車があった。
「あの歯磨き粉みたいな色した奴ですか? 外車でしょう、ね」
 飯島は顎髭を撫でつつ平然と言う。「お前、職質(職務質問)かけてこい」
「何でです?」
「ありゃあ、魔女の車だ。専属の運転手がいるらしいから、仲良くなってこい。後部座席に何か隠してないか、見せてくれと頼んでみろ」
「……令状も何もなしで、ですか」
「運転手以外に誰か乗っていないか、確認するだけでもいい」
「係長」緒方は首をひねる。「まだ配属されたてで、よくわかっていないんですけど……公安部って反政府勢力を監視するのが本業ですよね」
「そうだ。ようこそ、公安総務課へ」
「十一係って誰をマークするんですか? ヤクザ? 新興宗教? 他国の工作員?」
「ハッカーだよ。それも、政府関係者にちょっかいを出すハッカー」
「……ハッカー」
「総務省の才媛、魔女と名高い岩戸紗英……彼女に手を貸す凄腕のブラックハット(悪意のあるハッカーの俗称)がいるというネタがあるんだ。無論、監視してりゃ魔女自身の化けの皮を剥がすチャンスも生まれる」
「それが車に乗っているかもしれない、というんですね。やってみます……でも期待しないでください」
「二年目の坊主にか? 聞いてるんだぜ東大君。空手、黒帯だそうじゃないか。キャリア組で体術がAランクなんて前代未聞の評価だよ」
「チビですけどね」黒帯の割りには破壊力が足りないという意味で、緒方は自前の常套句を告げた。「……根性には自信あります」
「空手って伝統か。フルコンか」
 飯島は専門的に尋ねた。拳を当てず寸止めを規則とするのがいわゆる”伝統派”空手で、そうでないものを”フルコンタクト”と呼び区別する。
「フルコン、です」それは雄々しいという意味だ。
 飯島は満足げに笑った。「職質だけだぞ。殺すなよ警部」
「押忍」
 極めて短い返答の流儀は空手道に即したもの。格闘技好きの上司ならば気に入ってくれるだろう、と思う。
 緒方は上手くやるため腐心すべき立場にあった。東大出身で警察庁採用――いわゆる警察キャリアの自分と、現場叩き上げの上司・飯島。二人の関係は近い将来、逆転する。四十半ばの「警視」はベテランだが、自分は大学を出てわずか二年で「警部」。お互いの階級差は一つしかない。お互いがそれを深く了解している。その上で飯島は、けっこうな頻度で馬鹿呼ばわりしてくる。教えられることはすべて教えてやる、という意気込み。そこに骨っぽさを感じられる。迫力があって、いい上司だと思う。
 緒方は歩き出した。公安マンとしての初仕事に緊張感が漲(みなぎ)る。堅さをとるために、務めて足どりを遅くしようと思った。
 なるべく――なるべく悠々と歩く。
〈運転席側に回れ〉
 イヤフォン越しに聞こえてくる飯島の声。
「了……解」
 緒方は衿に仕込んだマイクに聞こえる程度の声で返答した。ところが。
「え?」
 歩みを進めるうちに気が動転し始めた。歩くスピードがひとりでに速くなる。
「え……え!?」
 顔見知りだ。知り合いが運転席に座っている。そう思える。
「お……オマエっ」
 緒方の足どりに呼応して、薄緑色の車の窓ガラスがゆっくりと降りた。
 若い女がひょっこり顔を出す。
「あ……あんたっ」
 お互いが、お互いの顔を指差して叫んだ。
「何してんの! こんなとこでっ」

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