第0話(三)

mage_icon_headOnly

 警察用語でいうところの視察――いわゆる張り込みという作業に不慣れで、上手くできていると思えない。だから緒方隼人(おがたはやと)は柱の陰から半身を出して、すぐに引っ込めた。
 背後で上司が囁く。
「あの女が岩戸だ。岩戸紗英」
 ラウンジの端に座る三人の姿は遥かに遠く、緒方の立ち位置から顔の仔細は判別し辛い。三人うち二人は用無しだが、肝心の、女の顔が闇に溶けている。
「テレビの国会中継でちょいちょい見る顔、の筈ですよね?」
「政治家の娘で東大卒、総務省の生え抜き。電網庁創設の立役者でエリート中のエリートだ」
「うちの公安部長にしろ、警備局長にしろエリートでしょ」
「馬鹿、よく見ろ。見た目がまるで違う」
 緒方は上司の物言いを理解できず、もう一度柱の陰から半身を出した。目を凝らして、蝋燭の灯に浮かぶ女一人と男二人の密談を、じいっと睨みつけ――それから首をひねる。
「そうですか? 三人とも曲者のオーラ出てますよ。丁々発止ってとこじゃないですか」
「どこが丁々発止だ。鼻の下が伸びきってるだろう。手玉に取られてるっていうんだよ」
 飯島警視はニタリと笑って、たっぷりと髭をたくわえた自分の鼻の下をわざわざ伸ばしてみせた。
 ゴツくて毛深い皮肉屋というだけなら強面。でもどこか愛嬌があって、見識も深い。緒方は飯島を「話せる上司」だと感じていた。
「美人ってことですか、岩戸紗英が……」上司のトーンにあわせて、部下も苦笑しつつ肩をすくめる。「この距離じゃわかりませんよ」
「美人ってだけじゃ籠絡はできん。奴は、魔女だな」
「魔女?」
「覚えておけ。岩戸が造った電網庁という組織は曰くつきだ。インターネットの根っこであるISPを統合するだけならまだいい。しかし警察のサイバー関連部署を取り込もうとしてるのはいただけない。一歩間違えりゃ警察を凌駕する怪物になりかねん……例のネット新法、意義を言ってみろ」
「意義ですか。要は免許制でしょう。自動車の乗り方と同じで、ネットの使い方を厳密に定義して、違反すれば取り締まる」
「本当の狙いは何だと思う」
「……サイバー犯罪の撲滅と、サイバーテロの防止。それ以外に?」
「お前も東大出てるんだろ? 俺の質問ぐらい完璧に返せ」
「無理ですって。教えてくださいよ」
「まったく……想像力が足りネェな。電網免許試験はレベルが異常に高い。たいていの人間は4種止まり、頑張って3種だ。2種でなければ海外にアクセスできない。つまり」
「つまり?」
「海外から見れば、日本人はネット活動を禁止されたのと同じに見える」
「……鎖国ってことですか。でも、お隣の大陸と同じじゃない。免許さえ取れば自由に活動できる。要は試験に合格するかどうかです」
「だが電網免許の取締を目的として、ネット活動の監視は強まる。通信の秘密なんてこれっぽっちも守られない。電網庁が積極的に公安活動を行えば、ほぼ間違いなく憲法違反。そう批判されている」
「メディアが騒いでるのは、知ってますよ」
「しかも岩戸は、鎖国の女帝として君臨するつもりだって噂だ。五年後をイメージしてるから、あえて初代電網庁長官の座を蹴った、って説まである」
「そりゃ……凄い」
「警察は二手に分かれた。岩戸支持派と、反対派。お前どっちにつく?」
「係長のご意見はどうなんです」
「決まってるだろう。アレを見ろ。魔女に魅了されるわが警察幹部の顔を……情けなくて見ちゃおれん」
「美人ならしょうがないです。もうちょっと近くで見たいなぁ」
「馬鹿。危機感が足りネェぞ、組織の一員として」
「俺、配属初日ですよ? 危機感なんて……わかりました。係長の顔を立てて、反岩戸派を表明します」
「馬鹿。処世術を振り回す奴ァ、組織の癌細胞だ」
「む。どう返事すりゃあいいんスか」
「……ついてこい」

“第0話(三)” への1件のフィードバック

  1. 本作品にはコメントが可能です。小説にコメントって勇気いるかもしれませんが、なぁに、落書きだとおもってお手軽にどうぞ。「疑問点」「質問」などを書き込んで頂ければ、作者からご返答いたします。他の読者にとっても参考になるかもしれないので、ぜひ活用してください。

    また、ツイッターボタンを押すと「特定頁へのリンク」を含むツイートが可能になります。物語の特定部分についてご意見・ご感想がある場合などは、ぜひこちらも活用してください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。