第0話(三)

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 岩戸は会計を部下に任せ、馴染みの警察幹部二人と連れ立ち、同じフロアにあるラウンジ、その窓際席に陣取った。
 この建物――ミッドタウン・タワーは基本的にオフィスビルであり、ホテルはその四十五階から五十三階だけを占めている。料亭は四十五階に位置していたが、ロビーも四十五階であり、帝国ホテルなどと違って、待ち合わせに使うべきラウンジがそもそも超高層に位置している。コーヒー一杯が千五百円という価格はやや贅沢に過ぎるものの、価格に見合うだけの眺望を備えているのは間違いないと岩戸は思う。大きなガラス窓の外には赤い明滅で縁取られた新宿のビル街が遠く望めており、電網庁が入る予定の新庁舎、その背格好までが確認できた。
 あの摩天楼が自分の新しい城。岩戸にとって、それは絶景のはずだ。
 でも今夜は眺めに興じる気分に浸れない。国交省とのジョイントは惨憺たる有様。長い時間をかけ準備してきた計画が、ご破算になったばかりである。酒もカフェインも味などわかりそうにない。
「コーヒー三つ、でいい?」禿げ上がった色白の男が言った。
「岩戸君は、やけ酒なんじゃないの。ビールでもワインでもどうぞ」色黒で痩身の男が皮肉を挟む。
「遠慮します。いちいち飲んだくれてたら、肝臓が持たない」岩戸は憮然とした。
 この三人はお互い『コーヒーに砂糖を入れるかどうか』がわかる程度に、二号館(=中央合同庁舎第二号館……総務省と警察庁が入る霞ヶ関のビル)で頻繁に顔を合わせる間柄だ。お互い所属組織が異なるため、会話のほとんどを喫茶スペースで交わす。
 その点、このラウンジはうってつけだ。テーブルには蝋燭。やけに高い天井からのダウンライトも仄暗い。夜景の見通しが優先、という演出――書類を並べて話合うには最悪の場所だが、書類にできない会話の類には適している。
 警察幹部の一人が従業員を呼ぶべく手をあげた。名を小笠原(おがさわら)という。肩書きは警察庁警備局局長。
「じゃあコーヒー三つね」
 頼んだコーヒーに先ほどの長髪男、砂堀恭治の分はない。部下の話をしたいと言い出した癖に、当の部下を同席させない――同席させたくない理由があるのだと岩戸は了解しつつ、もらったばかりの名刺をしげしげと眺めた。
「砂堀恭治。わざわざ有名人を雇うなら、名刺には本名じゃなくて通り名を入れさせたらいいのに。メリットは活かさないと……」皮肉を込めて言う。
 ハンドルネーム『ヘテロジニ』――セキュリティ業界では名の知れた専門家。
「警察職員として働いてもらう以上、通り名は返上してもらわないと……示しがつかないよ」
 そう言う小笠原はいわゆるカタブツだ。警察庁警備局の長とはつまり公安警察、スパイまがいの連中をまとめる国防のリーダーである。後退気味の頭髪に銀縁眼鏡で、色白――上品なムードは順調に出世を果たしつつある『二号館の住人』に共通の外見といえるだろう。岩戸からみれば十歳以上も歳上。なのに接しやすく、「同じ大学を出た先輩の一人」という感覚にさせてくれる。
 もう一人の警察幹部が言った。「僕は岩戸女史に賛成。名刺なんて、わかりやすい方がいいと思うぜ? オガは真面目すぎるから」
 色黒の痩身男で、名を海老群(えびむら)という。禿げてはいないが短く刈り込んだ白髪、日焼け肌と相まってパンチのあるルックス。ワイルドさが身上で二号館には不釣り合いなタイプ。だからというわけでもないが彼の所属はお隣のビル、警視庁。公安部長の肩書きを持つ。
「ダメダメ。ダメでしょ」小笠原警備局長が首を横にふる。「エビはそういうとこ、甘いよ」
「あいかわらずの石頭」海老群公安部長が肩をすくめる。「問題は中身だって」
 岩戸は半身を捻り、瞳を凝らした。
 薄暗いラウンジの中で、二つ三つ離れたテーブルに砂堀の顔を見つけ出す。
「そういえば長髪の警察官ってみたことないなぁ……事務方だったらOKなんですか?」
 砂堀が気づいて、会釈してくる。岩戸は小さく手を振った。
「おいおい、髪の話題はなしで」小笠原が冗談めかして言う。
「なるほど、長髪野郎には厳しいわけだ。納得した」海老群が大きく頷く。
 岩戸は苦笑した。警視庁は組織として警察庁の傘下。黒い方は白い方からみて部下になる。しかし二人は同期で、二人が二人とも東大出。一見すると飲み仲間同士の砕けた会話に思えてしまう。
「ところで」白い方が身を乗り出し、声量をぐっと落とした。「例の計画、なんだけども」
 計画といえば、ただ一つ――電網庁と警察で、サイバー公安部隊を共同設立する計画を指す。
「合同記者会見が良いステップになる……っておっしゃってましたよね。国交省を味方につければ、かなり弾みになるって」岩戸は表情を曇らせた。「まさか。その話までポシャるんじゃ……」
 白黒双方が顔を見合わせ、苦笑い。
 岩戸はソファにのけぞった。「ええっ!? それじゃ私……ダブルパンチです。再起不能になっちゃう」
「すまんね」小笠原は禿げあがった頭頂部を岩戸に見せるように頭を垂れた。「猪川大臣の件とは関係ないんだ。やっぱり根強くて……反対派が。まとめきれなかった」
「……」岩戸は天井から視線を落とし、うらめしそうに男達をにらみつける。
 海老群が顔をしかめた。「説得されてくれないんだなぁ。どうしようもなく、古い組織でね」
 海老群は本来笑顔を絶やさない男で、白い歯が日焼け肌に映えてハリウッドスターのごとく爽やかだ。しかし口を閉じた彼は精悍そのものである。「サイバー空間の治安維持……腕力は警察が、最新技術は電網庁が提供する。一つ屋根の下に集って。そのアイデアは正しいと僕は信じてる。でも反対派ってのは警察の独立を重んじる奴等でね」
 小笠原が頭をあげ、ずれた眼鏡を直した。「結局、警察としての雇用をテストしろ、という流れになった」
「テスト? 警察にも、サイバーセキュリティ系の人材は大勢いるでしょうに……今更何をテストするおつもり?」
「初なんだよね。民間で開発経験を持つベテランのエンジニアを、警察として召し抱えるのは」海老群は顎を撫でる。「砂堀君が、その第一号ってわけ」
 岩戸は不満そうに言った。「電網庁を信用できないくせに、有名人を雇い入れるのはアリだなんて、ふざけた話だわ」
「同感だよ。言っとくけど、採用を決めたのは僕じゃない」
「でも、エビさんの部下?」
 警視庁公安部が砂堀を指揮下に置くのであれば、仕事はテロ対策が中心になる筈。岩戸の発言にはそういう含みがある。
「うん。公安部公安総務課に、十二係を新設した。肩書きはサイバー開発専任技師」
「開発専任……技師。十二係の体制は?」
「百名……といいたいところだけど、まだ砂堀君主体で採用活動をはじめたばかりでね。彼を含めて三名しかいない。後で挨拶させるよ」
「階級は?」
「なし」
「給与は? 階級でいうと、どのあたりの扱い?」
「警視監、相当」
「警視監……」岩戸は唸った。「彼って私と同世代ぐらいでしょ? 破格の待遇じゃないですか。つまり、そうしないと望むべき人材が集まらないってことだ」
「おっしゃるとおり。いわゆるヘッドハンティング。条件を良くせざるを得ないよ。実は砂堀君の場合、二年越しだからね。ずっとラブコールしていたらしいから……だろ? 警備局長殿」
 砂堀の採用はあくまで警察庁が決めたこと。海老群はそんなニュアンスを込めて、雲の上の連中を(つまり、隣りの小笠原を)揶揄する。一方の小笠原は口をへの字に結び、肩をすくめた。「俺のせいでもないよ」とでも言いたげ。其の実、小笠原は警備局長に就任して間もない。前任者からの引き継ぎ案件――何か因縁の深い人事、ということだろうか。
「誰が能力を見極めるんですか? ……破格の待遇に見合うか、どうか」岩戸はあえて語気を強めた。「私たちの電網庁は日本のISP(インターネット接続事業者)を束ねて発足した。だから膨大なエンジニアを抱えている。電網ゼロ種を与えるかどうかも慎重にやっています。人事評価の枠組みが肝だとわかっている。でも警察にはああいう、ハッカー的な人材を……コンピューター・ギークを評価する仕組みが、比較論がない」
「イエス。だから十二係には然るべき人材をリーダーに据えた。君の良く知る男をネ。それが僕らにできる精一杯さ」
「……まさか」岩戸は唖然とした。「紫暮阿武(しぐれあんの)が十二係の長に?」
「警視庁内部で、サイバー捜査の進展にあわせ、リアルタイムなソフトウェア開発を行う。そんな厄介な発想がまともに機能するかどうか、責任をとれるのは紫暮しかいない」
 紫暮阿武。かつて警視庁から英国へと留学、全盛期のNHTCU(英国国際ハイテク犯罪対策室)に身を置き、ハッカー狩りで名を馳せた凄腕。サイバー犯罪捜査のスペシャリストであり、身元を偽った「潜入(囮)捜査」において最高度のスキルを持つ。そもそも囮捜査が不得手な日本の警察において、紫暮の能力は異端中の異端といえた。
 岩戸は意気消沈して、再びソファに頭を預けた。
「日本に一人しかいないサイバー捜査のプロ。その部下に、セキュリティ業界随一の有名エンジニアをあてがう……これで警察は安泰ってことかぁ。電網庁の出る幕なんて、どこにもないわけですね」
 小笠原が申し訳なさそうに禿げ頭を撫でた。
「合同組織の件は、ご破算と決まったわけじゃない。オートパイロットもね。急くなということだよ。急いては事をし損じる」
「ダブルパンチ、なんだもん……へこむなぁ。どうしてこうなっちゃったんだろ」
 岩戸は努めて口角を上げた。今朝のバス事案が、自分の狙い全てを潰しにかかっている――そんな被害妄想に襲われて、だからこそ、無理にでも笑顔を心がけたいと思う。
 そして、こう付け加えた。
「紫暮阿武と……ヘテロジニ君の、お手並み拝見といきましょうか」負け惜しみだ。
 負けるのが嫌い。負けて悔しがる顔を見られ、相手がほくそえむのはもっと嫌い。
 岩戸はそういう女であった。

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