第0話(三)

 余興がすべて終わった今となっては、さすがに幕を引くタイミングだということが誰の目にも明らかだ。それでも岩戸紗英は宴席のなかで一人、名残惜しく感じていた。
「主賓がいないと盛り上がりに欠けますね」
 猪川国交大臣の為にセッティングされた食事会。用意したのは岩戸である。
 電網庁の才媛に気を遣う格好で、一回りも歳上の男達が腰を上げずに押し黙った。集っているのは警察官僚にしろ、大手メーカー社員にしろ、日本で一、二を争うほど忙しい人物ばかり。目的もなく酒盛りする時間など、微塵も持ち合わせていない。
「合同記者会見はキャンセルという結論で、よろしいですか」遂に一人が口火を切った。「一旦延期、ということで……」
 いの一番に腰を上げたのは国土交通審議官の中辻である。さもありなん、と岩戸は思う。今宵の国交省は上へ下への大騒ぎ。未来の自動運転より、今朝のバス事故が気がかりなのは致し方ない。
 岩戸は指先でこつん、と座卓を叩いた。「これでお開きにしましょう。残念ですね。残念だなぁ」
 突然、ベガス社開発部長の四本木がビール瓶を片手に立ち上がった。大股で歩み寄り、岩戸のグラスへなみなみと注ぐ。「岩戸さぁん! 開発は進めてますからね。敵は世界だ。前進あるのみです」
「うん……そうですね」
 乾杯の気分ではなかったが、四本木の求めに応じて岩戸は控えめにグラスを合わせた。
 四本木は一気に琥珀を流し込み、
「暗くなってばかりじゃ、ダメですよ皆さん」とけしかける。
 煽りを真摯に受けとめ、男達は少しばかりビールに口をつけた。けれど半分も飲み干さないで、結局は全員が席を立つ。
 そのうち一人が去り際に、小声で岩戸に話しかけた。「僕はおかげさまで勉強になりました。根っからの車オンチなんで」
 男の顔を岩戸はしげしげと眺めた。流れ作業のように名刺交換を済ませた関係者で、名前はうろ覚え。しかし初対面にも思えない。肩まである長髪も印象的だ。
「どこかでお会いしました?」
「はは。多分……シンポジウムか何かで」
 岩戸紗英は並の官僚より顔が売れている。でも、この長髪男が自分に負けず劣らず有名人だと了解できた。
「……ハンドルネームを言ったほうがいいよ、ヘテロジニ君」別の男が言った。
 岩戸は目を丸くした。
「ヘテロジニ……あなたが」
「ええ。本名は砂堀(さほり)というんです」
 岩戸は直感した。この男はきっとバブル世代の残党だろう、と。長髪は毛先が綺麗にカットされているし、ワイシャツには穏やかな光沢がある。ブランドロゴがあしらわれた鞄といい、外見へのこだわり具合が世代を匂わせる。若く見えるが四十代前半——おそらく、自分と同じ年頃。
「岩戸さん、ちょっと時間ある? 砂堀君の事、説明したいんで」
 長髪男に比べ、かなり地味な壮年男が岩戸に小声で囁いた。顔馴染みの警察幹部であった。
 どうやら砂堀は、警察の肝入りでこの食事会に同席したらしい。  

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