{
髷(まげ)と呼ばれるそれは「忍者」の姿をしていた;
といっても三頭身程度の愛らしいキャラクターだから、凄みは感じさせない;
いわゆるアバター、実体は検索や論理演算を代行してくれる人工知能;かなり高度な会話型インターフェースを備える;
GEEと話合う様子は、傍目に「相棒と電話している」としか感じられない;
〈どう思う? 髷〉
GEEは音声のみで入力;他方、髷はコミュニケーションの際、合成された音声で返答しつつ、しかし文字列の描画も伴う;
その文字列は忍者キャラクターの頭上に、マンガのふきだしの如く描画される;
〈ご覧あれ〉
言うや否や三頭身の忍者はふわりと飛び上がり、くるりと宙返りを決めて着地した;
その足袋を履いた足下が、有華たちの乗る車のダッシュボードにぴたりと合う;
髷の姿は現実世界とうまく同化した;いわゆるAR――拡張現実;GEEが頭を傾ければ、髷も傾く;装着しているHMDが、動画カメラやジャイロなど、センサー類を内蔵しているから可能な芸当だ;HMDの情報から描画の基準を算出、リアルタイムに補正しつつ、髷は仮想空間を動き回る;
忍者アバターは着地のタイミングで画面を切り替え、主に対して一つの文書を提示した;
〈何やこれ……三年前ってか〉
それは企業がテレビ局に宛てたFAXの写しである;世間に対する釈明文;その中身をGEEはじっと眺めている;
〈ふうん……開発本部に品質向上委員会を設置し、グループ一丸となってリコール撲滅に邁進……?〉
やがて髷が二度目の宙返りを決め、別の文書を提示した;
〈……ハハァ、なるほど。朽舟滋……あんたが来れなくなった理由はこれか〉
それからも、髷の宙返りが延々と続く;
}
「どんぴしゃ、や」とGEE。
「何?」
「ベガス社は三年前にトラックの不具合が発覚して、大規模なリコール騒ぎを起こしてる」GEEは嬉々として言った。「……しかも今日の事故の原因調査にベガスの技術陣は駆り出されて……だから一人、開発二課の課長が欠席。それが朽舟滋。ビンゴやで」
「ちょっと待った。今日事故を起こしたバスのメーカーって……まさか」
「ベガスの系列会社。ってことは、どうせ親会社の技術をたっぷり流用してる」
有華は運転席のシートに深く背中をあずけ、天を仰いだ。「事故に関係してたの、猪川大臣だけじゃないんだ……」
未明に起きた悲劇が引き金となり、国産オートパイロット車の開発をリードするベガス社の前途に暗雲が垂れこめている。実用化の旗振り役を担っていた、とある道路族議員の命運を道連れにして。つまり今夜、この料亭に集う面々の狙い「全て」が潰された。
「な、絶対ヤバイやろ?」
合同記者会見を延期に追い込むだけでなく、日本の自動車産業にブレーキをかけるため、すべてが仕組まれた――GEEの「ヤバイやろ」には、そんな皮肉がこめられている。
本当だとしたら我らが女帝殿、岩戸紗英はさぞかし傷ついていることだろう。有華はあらためて液晶画面を覗き込んだ。
{
ベガス社によるプレゼンテーションは終了していた;四本木からバトンを受けた大柄な男の、聞き覚えのある声が響く;
〈えー、電網免許証ですが、東京では今月から提示が必要になりました。5種は主に小学生以下。4種以上を所持する保護者の同伴が前提。4種は公認サイトへのアクセスのみ可。だいたい中学生レベル。3種はビジネス活動が可、2種は海外の合法サイトにアクセス可。1種はオールマイティ、電網庁職員相当です〉
声の主は、垂水昂市;岩戸の右腕たる軍師だ;肩書きは電網庁開発局・局次長;
〈全部で五種類ですよね〉
中辻という、国土交通審議官が垂水の相手を勤めている;来られなくなった大臣の替わりに、プレゼンを受ける立ち位置を買って出たらしい;
〈来月から、もう一つ上のゼロ種を運用します〉
垂水は自らのポケットからカードホルダを取り出して見せた;
〈電網1種は、電網庁職員でなくても保持できる資格です。しかし0種は電網庁の職員、それもごく一部の選ばれた職員だけが所持します。司法警察権を有する治安維持要員。正式名称は、電網公安官〉
〈電網……公安官〉
〈この0種をオートパイロット実験資格と連動させるのが、我々の提案です。つまりオートパイロット車は、ゼロ種を認証してから走る……国交省からの要請を元に、電網庁が、テストドライバーを提供する〉
〈なるほど〉
中辻というおっさんは話に相づちこそ打つけれど、全部知ってるんだ――と有華は感じた;岩戸のプレゼンテーションを受けとめるべきは、あくまで猪川大臣だったのだ;
垂水は説明を続ける;
〈直感的には、自動車の運転免許証が、オートパイロット実験ドライバーの認証について担うべきだと思います。ここ最近、運転免許証はICチップも搭載した。技術的には可能。しかし……〉
岩戸が口を挟む;
〈……オートパイロット車両は、運転技術を持たない人間が使う車になる。運転免許での認証はナンセンス。でしょ?〉
そう言ってベガス社の面々に目配せ;すると四本木が、わざとらしく声を荒げた;
〈おっしゃる通り! オートパイロットの規制がどうあるべきか、まだ議論は熟していませんが……セキュリティ上、搭乗者の認証プロセスは大前提になる。運転免許証以外の何かで、鍵をあけなきゃならない〉
〈……国民全員が持つカードで、電子的に認証し個人が特定できて、尚且つ細かくランク分けが設定できるカード……といえば、今は電網免許証をおいて他にはない〉
〈最初から電網免許証を使ったオートパイロットの走行テストを重ねられるのは、開発側にとってメリットが大きい。実用化を急ぐなら尚更です、ハイ〉
四本木はいかにも「打ち会わせ通りに言えたでしょ」と満面の笑みを浮かべている;
}
総務省電網庁は、無人車両技術の実用化に向けて重い役割りを負っていた。というより、新たなサービスの旗振り役を積極的に担うことで、新造組織の存在意義を訴えるという皮算用があった。国民に免許制を強いて、負担を増やすばかりでは反感を買う一方なのだから。
電網庁の実務トップたる女帝――岩戸紗英の、オートパイロットに賭ける思い。それを承知の上で有華は皮肉を口にした。
「健康保険証とか、マイナンバーカードでもいいじゃん」
国民皆免許として誕生した電網免許証は確かに優位。しかしIC化されたカードなら、似たような解錠機能は持たせることができそうに思う。
「大事なカードは家に置いとくやつもいる。けど、今どき朝から晩までネットを使わへんヤツはおらんから、電網免許証はみんな持ち歩くようになる。その差やろ」とGEE。
「なるほど。だからウチが……じゃなくて、電網庁が関われるんだ」
「あら?」
女ハッカーが暗幕から顔を出した。「ゆかりんってまだNICT(※総務省傘下の研究機関)のヒト? てっきり電網庁で雇ってもらえたんやとばっかり……」
「あきらめて、ま、すっ」
有華は口をとがらせ、車のハンドルを握りしめた。「……電網一種なんか、私のアタマで受かるわけないし」
本作品にはコメントが可能です。小説にコメントって勇気いるかもしれませんが、なぁに、落書きだとおもってお手軽にどうぞ。「疑問点」「質問」などを書き込んで頂ければ、作者からご返答いたします。他の読者にとっても参考になるかもしれないので、ぜひ活用してください。
また、ツイッターボタンを押すと「特定頁へのリンク」を含むツイートが可能になります。物語の特定部分についてご意見・ご感想がある場合などは、ぜひこちらも活用してください。