第0話(二):港区:赤坂:夜


 長い座卓を囲む、十人掛けほどの和室が見える;そこそこ席は埋まっているけれど、三つ四つが空席;高級な店というムードはあまり伝わってこない、と有華は感じていた;政治家っぽい人間が座れば、違って見えるのかもしれない;
 襖を開けて一人入ってきた;
〈遅れて申し訳ありません。国土交通審議官の中辻です〉
 国交省の役人は空いた席に腰掛け、開口一番こう告げた;
〈猪川大臣は……こられません。理由はお察しの通りです〉
 それを受けて、女性が名刺を差し出した;
〈電網庁管理局、局次長の岩戸紗英(いわとさえ)です〉
〈ああ、貴方が岩戸さんですか。お噂は……〉
〈大臣のご様子は?〉
〈……私もお会いできていないんです……実は、国交省が事故原因を究明する調査委員会を立ち上げる関係で、お立場が微妙になってます〉
〈微妙? ……被害者の家族だからってことですか〉
〈大臣が辞任する可能性を頭に入れておけ、と官房長には耳打ちされました〉
〈え……嘘でしょう……なんてこと〉
 岩戸が狼狽している;

 有華は首をひねった。「わかんない……なんで猪川大臣が辞任するの?」
 GEEが暗幕の中から答える。「国交省が事故原因を究明する委員会をたちあげるってことは、要するに運転手だけが悪いんか、それとも製造メーカーや観光バス会社にも責任はあるのか……国交省が結論を出すわけやろ。その最高責任者である大臣が被害者の家族やと、公正な結論が担保できない……」
「えー、辞めなくてよくない? 子供が死んで自分も辞職なんて、踏んだり蹴ったりっしょ」
「辞めるかどうかは政治家本人の、潔癖具合で決まるっつーこと」
「辞めるかな」
「辞めるかどうか賭ける?」
「い・や・です……また笑ってるし。暗幕が揺れてるもん」
「揺れてるのバレた? デカいおっぱいがぁ」
「貴様のおっぱいは、そんな位置でいいのか」


〈まさかこんなタイミングで、こんな事故が起こるなんて〉
〈会見はさすがに無理だ……延期せざるを得ませんね〉
 監視カメラ画像の中では、スーツの男たちが重苦しい調子で発言を重ねている;
〈現状だと、日程の再調整も難しそうですな〉
 誰も彼もが溜息をつく;そんな中で;
〈せっかくお集まりいただいたんです……名刺交換、済ませませんか。ね?〉
 岩戸紗英だけが務めて前向きだ;そう見える;でも身内にすれば、落胆の色合いが表情にはっきりとみてとれた;
 たとえ監視カメラの画像越しであっても;

 有華は運転席で口を尖らせる。「……明日の会見は中止かぁ。会場をキャンセルしなきゃいけませんね。キャンセル料も高そー」
「延期、って言うてるけどな」
「バスの事故が陰謀なら……これが狙いだ、って言いたいの? ギィさんは」そう告げて、暗幕の中から返事が戻るのを待つ。
 GEEは沈黙している。
 やがてPCのスピーカーから凜とした女の声が漏れた。
〈……主賓抜きですけど……折角だから段取り通り、やってみませんか〉
 岩戸の声だ。


 画面の中で、一人がノートパソコンを操作し始めた;部屋の中央にプロジェクターが据えられていて、そこから壁に記録映像が投影されている;太った男が解説をするために立ち上がって、壁に歩み寄って一礼する;
〈えー、ベガスで開発部門の責任者をやっております、四本木(しほんぎ)です〉
 監視カメラ越しであっても、画像の中身はクリアに見て取れた;
 砂漠を奇妙な車が疾走している様子;
 屋根の上に大仰な機械が取り付けられていた;そして;運転席に人影がない;
〈これは、ネバダ州で撮った初期の映像です。車両も初代ですね。自動運転の許可を出してくれる州法があるんで〉
 中年男の割りに四本木の声は甲高い;
 まもなく映像が切り替わった;
 やはり運転手の乗っていない車が、こんどは山岳地帯を走っている;
 同じ車種、しかし屋根の上にあった機械がスマートなデザインに進化している;
〈これで四代目になります。まだネバダ州。走行距離は十万キロを突破しました……あ〉
 十万キロ突破の垂れ幕を掲げる笑顔の男達が映っている;
 アロハ姿でサングラスをした、一際陽気な男がガッツポーズ;
〈これ、私〉
 そう言って、四本木はニッと笑う;
 同じポーズをとってみせる;
 目が離れていて口が大きく、カエルのような顔だち;
〈十万……キロ、ですか。そいつは素晴らしい〉
 警察官僚らしき男が座ったまま称賛する;
 カエル男は咳払いして胸を張った;
〈もちろん無事故でね。日本製オートパイロット(自動運転)車としては最長記録ですわ〉
〈世界的にみても、凄いんでしょう……ベガス社の技術は〉
 岩戸紗英の、深くてしっとりした声が響く;生真面目な称賛; 
 ところが;カエル男は笑顔のまま肩を落としてみせた;
〈いいえ……実は、あんまり価値がない〉
〈価値がない?〉
〈はい。こんな砂漠じゃなくって、人がたくさんいる街中での走破実績が必要になりますから〉
 率直で、端的な表現を好む――典型的な職人だと有華は思った;
 映像が切り替わる;
〈……あ、こいつは同じ四代目ですが、塗り直して、日本に持ち込みました〉
 都会のビルを縫って走る無人車;
〈これ弊社の敷地です。日本では高速道路のみ公道試験の実績があります。あと、電網免許証対応車両に改造済み……例の電網庁仕様ですね。改造後はまだ千キロも走ってませんけど〉
〈どうして赤?〉
 カエル男はニタニタと笑った;
〈よくぞ聞いてくれました。岩戸さん、あなたです。岩戸女史をイメージしたんですよ! 女性エリート官僚に乗ってもらいたい。ナンバーも取得済みですから、運転席に座ってもらえば、通勤の足に使っていただけますからねぇ〉 

「赤ぁ!?」有華は露骨に嫌悪した。
「赤い車、嫌いやもんなぁゆかりんは」GEEが笑う。
「っていうか……エロ親爺がうちの女帝に取りいりたくて、貢ぎ物してるみたいじゃないですか? ……なんかウザっ」
「ははぁ。さては焦ってるやろ。岩戸紗英専属運転手の座が危ういから」
「まさか。自動運転なんて、実用化はまだまだ先っしょ?」
「でも十万キロ走ってるんやで。無事故って優秀やろ」
「大丈夫なんですか? クルコン(クルーズコントロール=高速道路巡航用の自動スロットル機構)すら使ったことないけど私」
「ベガスの自動運転は優秀やで。良い線いってるだけに、合同記者会見はインパクトがあったはず」
「トップニュースになった?」
「警察庁、国交省と……ベガス。揃い踏みで『日本政府、電網免許証を用いた自動運転車の完全実用化にむけ、一般道でのテストを年内に開始』。高速道路以外、ってのはポイント高いんやで。海外にも報道されたやろな」
「へぇ。勿体ない」
「この会見を潰す目的なら、バス事故はチョー効果的。ベストな選択。せやろ?」
「もう。ベストとか言っちゃダメ。敵を褒めるの、悪い癖だよ」
「…………」
「ギィさん?」
「待てよ。欠席は猪川大臣と、秘書と……あと一人、来てない奴がおるな……ベガスの社員……朽舟滋(くちふねしげる)って、誰やそれ」監視カメラの様子に何かひっかかるらしい。
「事故の影響ですか」有華はあえて返答を促した。「来てないの誰? エラい人?」
「……どう思う?」
「どう、って……私に聞きます? んー、そうですねぇ」
「あ、ごめんごめん」
 暗幕をぱらりとめくって、女ハッカーがはにかむ。「こっちの話。どう思う……髷(まげ)」
 GEEは目元をHMDで被っている。有華に話しかけるのではなく、その視線は仮想空間の小さな住人を見つめているのだ。
 だから有華もパソコンの液晶画面を覗き込むことにした。GEEが会話に興じる「プログラム」の姿が、そこに見えているはずだ。

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