有華はふと、思いつきを口にした。「これって、フツーに運転できるんですよね」
「は? できますよ、もちろん……ナビに目的地を設定しなければ、人工知能は起動しない」
有華は二本のキーをチノパンのポケットにねじ込むと、運転席のドアを再び開け、コクピットにするりと乗り込んだ。
「……まだまだ開発を続けるんだから、ベガスのみなさんに」舌をぺろりと出して言う。「目標タイムさずけましょうか」
「目標タイム?」四本木が目を丸くしている。
「ストップウォッチ、用意しといてくださいね。ちょっくら行ってきます」
ダッシュボードの左、スタートボタンで始動。ペダルに足を這わせサイドブレーキを降ろす。確かに、ナビさえいじらなければハンドルは勝手に動こうとしない。これなら普通の車だ。
アクセルペダルを——踏んでみる。
なかなか動いてくれない。まどろっこしい加速はモーター駆動のせいだ。
五十台は止められる広々とした屋外駐車場に止まっているクルマはほんの数台。自動運転走行を試すために置いた乱雑なパイロンが十数個。それらを障害物にみたて、かいくぐるようにして有華はアスカ号を走らせた。アクセルを煽り、ハンドルを小刻みに切る。そしてブレーキング——直後の旋回。FF(フロントエンジン・フロントドライブ)車が不得手な後輪を流す動きにおいて、どの程度の急制動が必要か試す。
アクセルオン、オフ、そしてブレーキ。左に右に切る。再びアクセルオン。有華はサイドブレーキに左手をかけた。百八十度ターンの構えだ。
五十メートルほど直線的に走り、フットブレーキを踏むと同時に右手でハンドルを切り、ぐいっとサイドを引いてやる。後輪が大幅にブレイク——車がドライバーの意図に従って急旋回する。ズルズルというタイヤの滑りぐあいを確認しつつ——サイドを戻し、再び加速。
タイヤのパターンは乗り込む前にチェック済みだ。どの程度のモーメントでヨー(回転)が発生するかイメージはできる。あとは前後の重量バランスに慣れるだけ。意外に旋回性は悪くない。単なるFFではなく前にガソリンエンジン、後ろにバッテリーが積まれているからだろうか。最大の問題は、こいつがハイブリッド車であるということ。アクセルペダルから足を外した途端ガソリンエンジンが停止、モーター駆動に切り替わる仕組み。だから瞬発力の欠片も感じられない。常に右足でアクセルを煽る、だから左足ブレーキングが必須のクルマ。
(カート感覚……って、そういう車じゃないってば)
エコ指向とはいえ、エンジンを高回転に保ってやれば、それらしい排気音も聞こえなくはない。有華はニタニタしながら、躾のいきとどいた優等生に悪い遊びを教える気分で、テクセッタの急加速・急減速・急旋回を繰り返した。
(うし……温まってきたぞ)
一旦車を停めて前後左右の景色を確認する。さっきタイムを計ったときも、このあたりがスタート位置だった。窓をあけて頭を出し、倉庫の前で呆然としているベガスの四人組にむかって叫ぶ。
「スタートの合図、お願いします!」
四本木はきょとんとしていたが、やがて右手を高く上げ、ストップウォッチをひとにらみしつつ、素速く腕を下ろした。
よし。突撃だ。
有華は豪快にアクセルペダルを踏んづけ、スロットルを開いた。ハンドルの挙動は穏やか。ボディの揺れも感じない。だが踏む。踏み続ける。踏んでさえいれば、ハイブリッド車であっても牙を剥く。加速する。車体が軋む。赤いパイロンの隙間を目指し、猛然と突進していく。
(いけ!)
まず軽くフットブレーキ。減速へ転じさせ重心をフロントへ移動。
ここぞというタイミングで、サイドブレーキを引っ張り上げ、深く舵を切った。
テクセッタの後輪が大きく滑る。
どノーマルな4ドアセダン車が甲高いスリップ音を奏でながら、小気味よく方向転換していく。その回転角をフットブレーキで細かくアジャストした。
回る、回る。
回って、回りながらパイロンとパイロンの隙間に——ぴたり、と収まる。
(完璧!)
意図通りのドライビングができた、やってのけたという手応えがあった。気がつくと、あっけにとられる男達の顔がすぐ傍にあった。
窓を開けて、有華が問う。「何秒でした?」
四本木が頬を引きつらせて笑う。「……えーと……な、七秒、かな」
「オートパイロットで二十六秒。人間は七秒、か。目標にしてくださいね」
「凄い。ど、ど……ドキュン! って感じだね」
「失礼な。有華とDQNを同じにしないでください」
四本木は目を丸くしたままである。
誤字ハッケン
通り脱けることはできます → 通り抜けることはできます
直します!ありがとう。