「岩戸さん。迷惑ですか、私」
「どうして?」
「警視庁幹部の姪っ子を、それも傷物をわざわざ抱えている。それって迷惑っスか」
傷物という言葉をわざわざ自分で口にする。岩戸がどこまで知っているのか試すために鎌をかけた。そのせいで足が震えた。
「傷物って……まさかそれ、引きこもりだった頃の事を言ってるつもり?」
「……」
「大事な娘さんだって思ってる。傷物なんて思ったこと、一度もないわ」
「……じゃあ、今すぐNICTから電網庁に転籍させてください。一ヶ月の休暇なんて全っ然いらない。NICTの所長はOK出してるはずです。あとは岩戸さんの判断だって、垂水さんもそう言ってました」
「……」
「ほらぁ。休ませたいだけなんだ。そうなんでしょ。結局、邪魔なんだ私がっ」
「……」
「おかしいっス。私が実家に帰ってるとか帰ってないとか、そんなの業務に支障ないじゃないですか。単なるプライバシーです。なのに、それが理由でNICTにずっと籍を置かせるなんてやり方、おかしい。岩戸さん絶対おかしい」
「……」
有華は机を両手で叩いた。思った以上に大きな音が響いた。
「私を見てください! 叔父とは無関係に、私が頑張ってる姿を評価してください。私に能力があれば、電網庁で召し抱えるべきでしょ。どうなんですか。私、私っ」
岩戸は両手を組んで、うつむいたまま答えた。
決定的な言葉だった。
「能力だけでいうと、必要な人材とはいえないわね」
女帝の言い草は冷たかった。「答えに……なったかな?」
常代有華が十一階の廊下を劇的な早足でこちらへ歩いてくる。荷物を抱えていた香坂一希は、いつものように紙一重で避けた。
一つに束ねた長い髪が糸をひくように空気を裂いて、バネのある動きが筋肉の質の良さを、日焼けを厭わない小麦色の肌が若さを、さっぱりとした気性を表すメイクの薄さが清涼感を——ふりまいていく。いつもそうだ。
ところが今は、少しムードが違う。
「お……おい、どした?」返事がない。明かに妙だ。
(泣いてる!?)
チャームポイントの黒目がちで大きな瞳に、大粒の涙が浮かんでいた。それを気づかれたくなくて、だから速さは五割増しで、香坂から顔を背けるようにして、エレベーターホールへ向かっている。
香坂は足を止め、翻って後ろ姿を目で追った。抱えた段ボールをその場に置き、追いかけようかとも考える。でも。こういう時は行動を起こさないのが自分流。
(……そっとしておこう)
特命課に戻るや否や、涙の理由に見当がついた。オフィスには窓に向かって立つ岩戸紗英が一人いるだけで、しかも表情が暗い。二人のやりとりに何かあった。そう察して余りある。
広々とした空間に二つしか残っていない机の片方へ段ボール箱を据え、それから香坂は声をかけた。「泣いてましたよ、常代さん」
「泣きたいのはこっちよ」
岩戸は窓の外を見たまま、吐き捨てるように言う。めずらしい剣幕だった。相手を手玉に取るような魔性の態度が、すっかり影をひそめている。