第3話(一):千代田区:霞ヶ関:午前

「ストロング、ホールズ……」
「名うてのハッカーたちはここを根城にして一攫千金を夢見るらしい。けしからんだろう? 御用にしてやろうと思う。ところが、だ。このサイトを潰すことに、どれほどの意味があるだろうか?」
「……潰してもまた生まれる。だから潰すことに意味はない。そうおっしゃりたいんですか……でも、それじゃあみっともない。敗北宣言だ」
「じゃあ、お前さんならどうする」
「……うーん」少し間を置いて、香坂はぼそりと呟いた。「研究……しますね」
「何故?」
「身を守るために。どんな悪辣な連中かを知り、犯罪の手口さえわかっていれば……個別の犯罪を防止するか、被害を減らすことはできるかもしれない」
「もっといえば、悪い奴を吸い寄せる装置として利用し、そこを覗くことで、ある種の犯罪予知を企てることも可能になる」
「……きわどいですね、その発想は。表向きは批判されるでしょう」
「だから関わりのあるスタッフは一握りに絞ってある。実は……十和田美鶴にも、少し作業をさせていたんだ。その手に詳しかったからね」
「十和田って、あの……トイレの」香坂は目を丸くした。「まさか」
「そのまさかだ。詳しいも何も、十和田は最初からストロングホールズの住民だったらしい。VainCrainなるハンドルネームで荒稼ぎしていた。サイバー攻撃を仕掛けるぞと中小企業を脅迫してみたり、政治家の誹謗中傷、評論家の個人ブログ叩き……いろいろと手を染めた。砂堀恭治もその犠牲者らしい」
「砂堀って……警視庁が雇ったあの、セキュリティの大御所ですか」
「十和田の書き込んだ砂堀への罵詈雑言は酷いもんだった。警察に手を貸すなんてハッカーの風上にも置けない、という意味だろう……あの女は爪の先までダークサイドに染まっている。おそらくIX(=インターネット・エクスチェンジ)時代からの手癖だ。お前さんに発見されていなければ、もっとエスカレートしただろう。彼女の罪状は背任どころじゃない。警察と連携し、正式に起訴しなきゃならん」
「不名誉な話ですね、電網庁としては……」
「人ごとじゃないぞ。香坂一希が大丈夫だと言い切れるか」
「僕がですか」香坂は目をしばたいた。「……まぁ、客観的にみれば、危険でしょうね。駆け出しの、ひよっこですし」
「というより、お前さんの能力が問題なんだよ。ハッカーは紙一重。優秀であればあるほどあっち側に転ぶ可能性を持ってる。半歩でも間違えりゃあ、十和田と同じになる」
「半歩……ですか」
「これ以上聞いちゃいけないんですか。さっき、そう言ったよなぁ? ……知らないということを、むしろ幸せと思うべきだ。知ることが怖いと思うべきだ。そういう仕事になっていく」
「わかります。ですが……一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「十和田の調べを進めているのは、誰ですか? 僕のまわりにいる先輩方じゃなさそうですね」
「……」
「特命課の中で、僕が会ったことのない人がいる。電子メールでUNKNOWNと名乗っている人だ。違いますか」
「まぁ、とにかく」垂水はコーヒーに口をつけることなく、小銭を置いて立ち上がった。「……祇園狐。君はもう少し恐さってヤツを感じておくように。天才ドライバーにはアクセルだけじゃなくて、よく効くブレーキも必要だろ?」

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