第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻

 四本木は残骸を離れて広々とした車両倉庫を横断し、鉄扉のノブに手をかけた。
 がちゃり。
「ふぅ」外気を吸った途端、重い気分が晴れた。「……なぁ、八千夜さん。どうしてナビ周りを気にするの。不具合があったとしたらブレーキ系のECUなんだろう? 君がソフトウェアのプロだってことはわかるんだが、どういう理屈で……」
〈四本木はん、あんた最近の車の構造、わかってるか?〉
 この女はむっとするような事ばかり言う。だが、いちいち鋭い。
「技監って立場になってからは、予算の折衝事ばかりで……残念だけど、第一線から退いて五年になるよ。でも素人じゃないぜ。君に言われたかぁないよ」
〈プログラムはECUの中で動いてる。でも、車のECUは一個や二個やない。六十、七十、下手したら百個。そのECU同士をつなぐ信号線はクルマの大動脈。せやろ?〉
「まさにそのとおり」
〈信号の経路そのものが物理的にいじられてるか、いじられてないか。これがはっきりせん限り、プログラムの中身なんかナンボ追いかけてもしゃあない。整備士のパソコンを押収したぐらいではなぁ、入口に立っとるだけですわ〉
「まぁ……確かにそうだ」四本木は咳払いした。「けどさ、まず調べるべきはブレーキ周りだろう」
〈ブレーキまわりって何〉
「たとえば……ブレーキフルードとかさ。オイル抜かれたらブレーキが効かなくなる。暴走する。危険極まりない。そういうところから観察するんじゃないの?」
〈……〉
「まぁ、警察も事故調もそのあたりは調べただろうけどね……今更我々が手を出しても、しょうがないって事かな」
〈四本木はん、あんた残念やわ。発想古すぎる。昭和やね、昭和〉
「……え」
〈ブレーキオイル抜いて、ブレーキ効かへん!!! とかいうて、坂道でアレレレレーって、激突……爆死。そんな二時間ドラマみたいな計画犯罪、今どきありえると思うか? よう考えてみぃ〉
「……そういえば、ハリウッド映画じゃ、そういう描写みかけないね」
〈ハリウッドとか関係ないし! ヒントあげよか? オートマ、オートマ〉
「AT(オートマティック)車? ………………ああ、そうか!」四本木は弾けるように瞳を見開いた。「クリープ走行! ATはブレーキフルードがないと、ブレーキペダルに足を置いても停まらない……」
〈正解。最近はオートマが全盛。オートマの車からブレーキオイル抜いたところで、エンジンかけて、シフトをDに入れた途端、のろのろと時速五キロで走り出してしまいよる。慌ててブレーキペダル踏むやろ? でも効かない。っちゅーことは、駐車場の壁にぶつかって……それで終わり。そんなんでヒトなんか殺せるかいな! いまどきの犯罪者の選択肢やないで〉
 四本木は感覚の古さを自覚した。高速道路を延々とドライブしたハイテクバスが、パーキングエリアに駐停車を繰り返した後、料金所へと激突——そんな複雑なシナリオに近づける筈もない。
 舌打ちして、それから弁解がましく言った。「せめて朽舟がいてくれたらナァ」
〈クチフネ……って誰?〉
「僕の右腕なんです。こういうことに関しては日本で右に出るものはいないね。超エキスパート」
〈車専門の……ハッカー君か〉
「そう。病欠してましてね。どこかへ入院でもしているみたいなんだ……去年のリコール騒ぎでも対策に奔走したキーマンだし、役に立つのは間違いない」
〈持病、ね……ナァ、四本木はん〉
「何?」
〈そのクチフネとかいう奴……本気で探さなアカンのとちゃうか〉
「打つ手がないんだ。自宅には奥さんもいなかった。だからといって、まさか警察に捜索願を出すわけにも……いちおう会社には病欠の届けがあったわけだし、ねぇ」
〈手が……なくはないで。こちとらバックには電網庁がおる〉
 そうか。四本木は刮目した。
「……電網免許証、ですか」当局があのカードを追尾できるという噂は耳にしている。
〈こないだウチが、四本木はんの居場所つきとめたやろ? あれぐらいの規模で絞ることはできる。携帯電話の探知に比べたらざっくりしたもんやけど、電話と違って、電源切られるってことはないし〉
「なるほど。その範囲に病院が見つかりでもすりゃ、そこは入院先ってことだ」
〈……それと……仮にクチフネって奴から連絡があったとしても、今の状況をあんまり喋ったらあかんで……四本木はん〉
「……どういうことだい」
〈……そういうことや〉
「そういうことって……まさか」
 四本木の頬が、ぴくりと引きつった。「……そんな。そんな筈はない。朽舟は、そんな野郎じゃないぞ」
 

“第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻” への4件のフィードバック

  1. 解決編じゃなかったやーん!でももう解決されても寂しいしw と、ちょっとネタバレ区域突入な感じなのでここでコメントしてみた。

    1. う…… f(^_^; お察しを……っていうか、甲斐原は捕まったんで、一応「第2話の問題は解決した」ってことでご理解いただければと(←苦しい)

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