第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻

 信じられない。砂堀の年収は幾らか計算したことはあったけれど、それすら超える金額だ。マスクに隠れた口元が、ついほころぶ。
〈だからさぁ、根拠を教えてくださいよ〉
「そうだな……ま、関係者ってことですよ」
〈どうして裏切るの?〉
「ムカつくからだよ、上司が。それだけ」津田沼は自分のペースに持っていこうと努力した。「ね、お金ってどうやって受け取るんです?」
〈その座席の下にバッグを置き忘れる手筈。僕のことも君のことも知らない、けれど中身が大金だと知っている女が運ぶよ〉
「げ……現金なんだ」
〈重いけど運べなくはないよ。なかなかいい体格してるもんね、dudaDidaくんは〉
「……すぐに払ってもらえるの?」
〈キミが予定の夜に事を起こせるなら、翌日の同じ時間に〉
「翌日……なんだね」
〈大金ゲットだね。職場をクビになったって、ぜんぜんオーケー。平気さ。だろ?〉
 

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 四本木篤之はしたたる汗をぬぐった。黒々と焼けたバスの残骸から死臭が漂う。それが気分を悪くする。おまけに照明は徹底的に明るく、エアコンはさっぱり効かない。夏の暑い夜を過ごすにはまったくもって不向きな場所だ。ビールを煽りたいという気にもなれない。どうにかして頭を使わなければならないし、同僚達の手前もある。
 部下の一人が仰向けになって、鉄屑の奥、そのまた奥底に手を突っ込んでいた。
 四本木が指先を懐中電灯で照らしてやる。「見えるか?」
「ええ……確かに、焼けています」
 国交省と千葉県警の連名で正式な要請が届き、ベガス社員が事故車両と面通しできたのは昨日のことだ。朽舟滋の開けた穴を塞ぐべく、四本木はピンチヒッターを買って出た。おかげで残骸の仔細まで観察できる立場を得ている。しかし。
(アイツが……いてくれたら)
 相変わらず朽舟は行方不明。もともと痩せ型で、何かしら持病があったと想像はできる。会社が持つ健康診断の履歴を調べてもみた。消化器系の再検査を受けているが四十台半ばなら不思議でもない。かかりつけの病院が何処かといった類の手がかりは、結局のところ見つからず仕舞いである。
「焼けている……みたいだね」四本木はマイクに囁いた。
 大破したバスの前方から入り、懐中電灯を頼りに厄介な電装部へともぐりこむ。そいういう作業においてHMDという代物は、カメラのみならず小さなライトも内蔵しており、こういった状況下で「撮影」を行うには大変便利であった。
 これを使う理由はもう一つある。ネット経由で、外部の人間へと画像を送り届けるためだ。
〈焼けてるのはケーブルやろ? ナビの部品は生きてるんちゃうか……ウチの実験やと、ガソリンに引火したとしても、ナビ周りはけっこう燃え残る〉
 あのふざけた女ハッカーの関西弁が鼓膜に響く。GEEこと八千夜大義。岩戸紗英の子飼い——奴は真相究明のために、五百万円をくだらない最新型のバス一台を燃やしてみたというから驚きだ。国交省の事故調でさえそこまではしない。そういえば、岩戸紗英にも執念じみたものを感じられる。岩戸の部下ならば、さもありなんということか。
「どう? 焼けてるのってナビ全部? ケーブルは?」四本木はGEEの指摘を部下に仲介した。すると。
「……火が出たのは内蔵バッテリーみたいですね。溶けてる。ケーブルも……軒並み焼き切れてます」そんな返答が戻ってくる。
〈……わかってるで……リチウムイオンバッテリーは衝撃で燃えるしな。でもケーブルはおかしくないか? 切れてるとこ、切り口をようみせてくれ〉
 四本木がカメラを操作し件の患部をズームアップした。ケーブルの切っ先は被覆が溶けていて、熱で焼き切れたように感じられる。
〈ほらぁ。難燃性のを使ってる筈やろ……衝撃で切れることはあっても、焼き切れるのはおかしくないか。純正品と違うんちゃう?〉
 四本木は部下に伝えた。
「ケーブルの残骸、持って帰ろう。純正品かどうか確かめたい。整備の際に取り替えられたのかもしれない」それからマイクに告げる。「なぁ……一息ついてもいいか、ギィ君。匂いがたまらんのだ」
〈ええよ。ご苦労さん〉
 部下が作業する間が待てず、四本木は懐中電灯をその場において残骸の外へ這い出た。
 裾についた煤をはらい、部下に「今日はここまででいいよ」と告げる。
〈えー。もう終わりかいな〉
 女ハッカーは不満げだ。しかし、こちとら会社員である。
「わかってください。彼は組合員だ。あとは僕で、できる限り対応します。もう十時を回ったしね」
〈宵の口やないか〉
「そうでもないんだよ。うちは大企業。徹夜させるには、もっともな理由が必要になる」
〈……しゃあないな。ケーブルの件、ちゃんと調べてや〉

“第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻” への4件のフィードバック

  1. 解決編じゃなかったやーん!でももう解決されても寂しいしw と、ちょっとネタバレ区域突入な感じなのでここでコメントしてみた。

    1. う…… f(^_^; お察しを……っていうか、甲斐原は捕まったんで、一応「第2話の問題は解決した」ってことでご理解いただければと(←苦しい)

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