第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻

 
 誰も居ない筈の自動車整備工場。そのシャッターが開いた。ガンメタリック色のテクセッタHVが、モーター音だけを奏でながら滑り出す。運転席のpack8back8パケット・バケットはほくそ笑んだ——フルフェイス・ヘルメットの中で。
 朝っぱらから甲斐原豪と島﨑拓生が電網庁に拘束された。近いうちにここ島﨑カーファクトリーにも当局の手が及ぶだろう。夕暮れ前のタイミングで事をなし得たのは満点に近い。
 助手席に手を伸ばす。赤いノートPCの手触りを確かめる。甲斐原のPCが電網庁の手に落ちたのは少々厄介だ。けれど、こっちが本体。当面問題はない。
〈……おい、甲斐原の奴、電網庁にパクられたって聞いたぞ!?〉
 耳元でヤクザのがなる声がうるさい。〈……電網庁と警察って、どういう関係なんだ? 押収した証拠、すぐに共有されるのか?〉
 イヤフォンのボリュームを絞った。運転しながら手元であらゆる操作を可能にするハンズフリーフォンキットを、あらかじめヘルメットに仕込んである。スリムな台湾製に少々手を入れ、米国製スマートフォンとの相性問題は解決済み。だから。
「ご心配なく」ハンドルを握ったまま答えられる。「電網庁が甲斐原を怪しむことは計算済みです。警察と証拠を共有したとしても、話はそう簡単じゃない」
 アクセルをふかし、バッテリー駆動では不満とばかりにガソリンを投じた。ハイブリッド車にそぐわぬ荒い加速で、pack8back8は高速道路を目指す。
〈嘘だろう……甲斐原はブロウメンの重鎮だって聞かされてたぜ〉
「誤解です。k1amshel1(クラムシェル)は兵隊。彼が扱えるプログラムで、私に扱えない物はない。そもそも、あいつはベガスの系列社員だ……ハッカーとしてだけでなく、少しは顔や名前も知られている。疑いがかかるのは当然でね」
〈計算づくだったか……恐れ入るよ。で、どうする〉
「お願いしている件ですが、仕事の中身に変更点はゼロです」
〈本当かよ、おい……甲斐原が段取りをゲロするだろ〉
「大丈夫です。あいつは計画の半分も知らされていない」
〈どうりでなぁ。甲斐原はいきまいてたぜ? パケットバケットはリーダーじゃない、とか何とか……嫉妬って奴だろ〉
「……とにかく予定には寸分の狂いもない。甲斐原はバスの一件で使い果たしたコマだ。このタイミングで捕まってくれたら、いいカムフラージュになる。すでに次のコマも手配済みです。次の、その次も」
〈使い捨てか〉
「使い捨てですよ。お互い様でしょう?」
〈お互い様だな〉
 

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 津田沼和矢はハンバーガーショップの階段を登っていた。
 緊張のせいで腹は減っていなかった。そもそも夕飯時は自宅にいることが多い。ビールをあおりながらコンビニ飯を広げてゲームに興じるのが日課。外出先といえばゲームセンター、行くなら秋葉原——夜の九時にはシャッター街と化すエリアだから、終わればさっさと帰る。メイド喫茶やガールズバーに入り浸るヒマがあったら、むしろゲームのランキングを上げたいクチ。夜の二十二時に表の空気を吸っている事自体、津田沼にとって珍しい状況であった。
 それにしても、秋葉原と一駅しか違わない御徒町(おかちまち)の猥雑さには強烈なアウェー感を覚える。大きな店舗を保つ中古ゴルフショップなどまったく理解不能。そういう意味では、待ち合わせ場所がファーストフードのチェーン店であることにホッとさせられる。津田沼は二階に上がると指定された窓際の席に陣取った。他にはポータブルゲーム機に興じる学生の四人組がいるだけ。連中は壁のコンセントから電源をとっているぐらいだから、何時間も居座っているのだろう。
(ご苦労なこった)
 車のゲームを得意とする津田沼は、カフェという場に魅力を塵ほども感じない。必要なものはグラフィックスチップの圧倒的な描画パワー、ステアリングコントローラのリアルな手応え、そしてアクセルとブレーキのアナログな踏み心地。外出先でバッテリーの残量を意識する生活などクソ食らえだと思う。
 買ったコーラを一口飲みたくてストローをカップに刺し、使い捨てマスクの下へと潜り込ませる。わざわざドラッグストアに立ち寄って手に入れた「仮面」は絶対に外さない。
 二階の天井をにらむ。やっぱりだ。監視カメラがある。
(こういうとき、体形に特徴があるのはいただけないよなぁ)
 津田沼は太っていることを後悔した。
 やがて携帯電話が鳴る。
「はい…………」津田沼などと名乗らないように気をつけた。
〈ちょうど真向かいだ。見えるか?〉
 聞こえてきたのは性別不詳の金属的な声。なんらかの音声処理が施されているに違いない。津田沼は正面を見据えた。窓ガラスの外、路地を挟んだ対岸に雑居ビルが見える。一階と二階は洋品店。その側面、外をつたう非常階段に人影があった。フルフェイスのヘルメットを被っている。黒いライダースーツ。両手は使っていない。ハンズフリーフォンだろうか。
「見えます……あんたがpack8back8(パケット・バケット)?」
〈君の名前は……dudaDida(デュダディダ)さんでいいのかな〉
「はい」
 津田沼はあまり馴染みのないハンドルネームを名乗ることに緊張した。手のひらがじっとりと汗ばんでいる。牙城(ストロングホールズ)——噂の犯罪系コミュニティに足を踏み入れ、警視庁とNシステムがらみの案件を探すために使った名だ。
 そこで声をかけられた。砂堀恭治という嫌な奴を貶めたい。奴がブラッシュアップしてきたNシステムをパニックに陥れたい。そういう盛り上がりをみせたチャットに加担した——その弾みで。
〈キミ、Nシステム、祭りにできるんだってな?〉
 相手はいきなり本題に入ってきた。
「うん。で、できると思う、よ」躊躇わずに答える。
〈狙った日に?〉
「できる。お金次第だけど……僕の提示した金額ってどうなの? 高いの? 安いの?」
〈君にできる根拠を教えてください。どうやって攪乱する? 信じるに足る理由がほしい〉
「ダメだよ。教えられない。僕の立場が危うくなるし」
 自信はある。砂堀から、当面改善すべき「穴」——システムの脆弱性について聞かされていた。
 その穴を自分で掘ればいいだけのこと。
〈成功すれば、キミの希望する額の十倍払ってやる〉
「……じ……十倍?」

“第2話(十二):葛飾区:東新小岩:夕刻” への4件のフィードバック

  1. 解決編じゃなかったやーん!でももう解決されても寂しいしw と、ちょっとネタバレ区域突入な感じなのでここでコメントしてみた。

    1. う…… f(^_^; お察しを……っていうか、甲斐原は捕まったんで、一応「第2話の問題は解決した」ってことでご理解いただければと(←苦しい)

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