「……すいません」緒方は立ち上がると、GEEに向かって頭を深々とさげた。
「なんや。そこまでするか?」
「……俺、ギーさんに詫びることがあります……実は」
「あー、ええよ」中身も聞かずにGEEは緒方を許した。
「へ?」
「財前セミコンダクタに顧客データを出せと迫った警察官は誰か。とばっちりでウチがNICT出入り禁止になった直接の原因……その話やろ?」
「……ご存知だったんですか。いつから?」
「狸君の顔みてたらな、最高に笑えたから。あのバーで消化したわ」
「え、ゴールデン街の!?」
緒方は口をぽかんと開けて、次に有華を恨めしそうに睨んだ。睨まれた事で有華も理解した。あの飲み会の夜、財前セミコンダクタに乗り込んだのが当の緒方であるという事まで、GEEは調べ尽くしていたらしい。
「ええっ、アタシ? 知らなかった、全っ然」有華は全力で否定する。
「頼むよぉ」緒方は溜息をつき、それから口元を引き締めた。「でも、謝ります。自分の勇み足で顔見知りが職場をクビになるなんて、想像もしなかった」
「謝る必要……あんのか?」GEEは嘲る。「ウチが前科者やから、ライフルを隠してたから、クビになっただけやんか」
「判りません……俺は職責を全うしただけかもしれない。でも気分的には謝りたいと思います」
「……直球な奴や、狸のくせに。じゃあウチも謝ろっかな」GEEはニタリと口角を上げた。「NICT出入り禁止は、ホンマに痛かった。けど無職になったっちゅうのはウソ。せやから気にせんでええ。本業はしっかりやってるし」
「本業?」
「……いずれ、アンタにもわかるやろけどな」
「そう……ですか。ホッとしました。あ」緒方のポケットで携帯電話がバイブする。
メールをチェックした途端、その表情が弾けた。
「誰から? キツネ丼?」と有華。
「警視庁やろ?」とGEE。
緒方は包帯をした左手首をかばいつつ右腕で鞄を抱え、腰を上げた。「……バス事案の事件化にむけて捜査一課が動き出しそうなんで、顔出して、ケツ叩いてきます……テテ」
「キツネ丼のケツ?」
「まさか。お堅い刑事のケツだよ」
「げ、固そうやな!」GEEは右の拳を上げた。「叩くんやったら右でな」
「はい。右で」
包帯と絆創膏にまみれた手負いの青年は、鞄を持った右手をあげ、さらに敬礼した。そして踵を鳴らし、翻った。
運転席で有華は大きく溜息をついた。キーを差し込んで、しかしエンジンをかけることなくハンドルを握り込む。フロントガラス越しに見る夕陽が赤い。
「あーあ、置いてかれちゃった……キツネにもタヌキにも」
座席を仕切る暗幕がごそごそ揺れていた。GEEが電子機器の類をいじくり倒す気配が背中に感じられる。
「よういうわ」くぐもった関西弁が聞こえた。「幼なじみのナイトぶり、なかなかのもんやったで。どや、御姫様の気分は」
もちろん有華は素直に喜べない。「私のせいで、怪我させたんだと思う」
「不可抗力ってやつちゃうか?」
「でも評価はマイナスだよ。私だけ」
あの垂水局次長にまた小言を食らったのだ。それが頭から離れない。
「……あーあ、トイレにしろバスにしろ頑張っても頑張っても叱られちゃう。これじゃあ電網庁に転籍なんて、夢のまた夢って感じ」
NICTすなわち独立行政法人の職員が、総務官僚の運転手をするなんて大問題。おまけに自分は警察幹部、それも警視総監の姪——岩戸に「特別な意図」があると外野に勘ぐられても反論できない。それは岩戸自身、一番わかっている筈だ。なのに手続きを進めてくれるムードは微塵もない。
当然だ、期待する方が馬鹿だ、と有華は自分に言い聞かせている。電網庁は一種保持者で固めるエリート集団。一方の有華は三種の凡人。車の運転だけが取り柄の半端者。私の居場所なんてない。あるわけがない。努力をアピールしたいのはやまやまだ。けれど、頑張れば頑張るほど垂水局次長の心証を悪くする。
「なぁ、ゆかりん」ばさりと音を立ててGEEが暗幕から頭を出した。「……岩戸はんがイジワルしてるって、思ってるんとちゃう?」
まさか。そんな風には思わない——けれど。
「…………ギーさんどう思う?」