第2話(十):江戸川区:臨海町:午前

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 垂水らがずかずかとオフィス棟に入ったのと時を同じくして、構内に鳴り響いていた音楽が止んだ。朝のラジオ体操がちょうど終わり、職員たちは全員制服に着替え、身体がほぐれた状態で奇客を出迎えた。
「電網庁です!」垂水は首に提げていたカードホルダを手でつまみ、上下に振って、大きめに声を張った。「……えー、電網免許保有者の就業実態と、公認PCの利用実態を調べますので、おつきあいください」
 事務員らしき女性が一人、慌てて駆け寄ってくる。「……どちらさんですか?」
「電、網、庁。都条例に基づく抜き打ち検査になります。みなさん、電網免許証をご用意ください……じゃ、取りかかって」
 隊長の号令一下、散り散りになる網安官たちの中にあって、香坂だけは壁のホワイトボードをにらみ、職員たちの出欠をそれとなくチェックした。整備課、甲斐原の名札は裏返っている——まだ出社していないという意味だ。
 オフィスを少し練り歩くと、座席表らしき物を見つけることもできた。甲斐原の机に見当もつけた。
 HMDのイヤフォンから女の囁き声が聞こえてくる。
〈ぬかるなよ、キツネ〉GEEだ。
「その青いPCって……バッグに入れて、斜めがけしてるんですよね? いつも肌身離さない」
〈せや。査察が入ってると知ったら、トチ狂って壊したり捨てたりしよるかもしれん〉
「当面、我々はこのオフィスを離れません。建物の外から中の様子を伺い知ることはできないでしょ? どうです?」
〈……せやな。さっぱりわからんわ〉
「甲斐原が駐車場に着いたら教えてください。この棟に入ったところで、捕まえてPCを出させます」
〈ブート(※コンピューターの起動プロセス)に細工があるかもしれんからな。本人に絶対いじらせるなよ。このマイクロバスまで、真っ直ぐ持ってこい〉
「了解。とにかく手に入れます」
 香坂は甲斐原の机と直近にあるドアの間に立ち、同僚の網安官たちと従業員のやりとりを見守った。ちょうど三十半ばの男性職員が机の引き出しを開けるように言われ、しぶしぶノートPCを取り出したところだった。
「公認機種じゃないですね?」網安官は一目で見抜いた。「私物ですか? ベガスは服務規則で私物の持ち込みが禁止されているでしょう。懲戒処分になりますよ」
 男性職員は口を尖らせて言う。「私物じゃないっすよ」
「じゃあ電網庁に書類を提出済みですか?」
「書類って何の」
「廃棄予定です」
「廃棄……予定?」
「このタイプは無線機能が搭載されていて、しかも非公認機種だ。年が明けたら持っているだけで処罰されますよ」
「……マジ?」男性職員は青ざめている。
 網安官はHMDをかけたまま口元に笑みを浮かべた。
「あなたを責めているわけじゃありません。ベガス社がきちんと公認機種への移行を進めているかどうか、指導するのが我々の仕事ですので」
「……」
「じゃあ」網安官が言った。「電源入れてみてください」
 男性職員が苦虫を潰す。「こいつ古くて調子悪いんですよ……起動、すごく待たされるんだよなぁ」
「じゃあマルウェアに汚染されている可能性が大きいですね」
「……マルウェア?」
「悪意のあるソフトウェアです。調べましょう」網安官はポケットからスティックタイプのメモリーを取り出し、件のPCに差し込んだ。
「……汚染されてたら、どうなるんすか」
「即、廃棄です」
 その時だ。
 香坂の耳元で緒方の声がした。
〈マル被、到着した! 構内に進入するっ〉
 

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