翌朝、常代有華は寝ぼけ眼で駐車場を歩いていた。
今朝はこの初台宿舎から霞ヶ関へと直行する予定。近々ベガス社から納品される噂のオートパイロット車について、段取りの打ち合わせがある。本来ならGEEが受け入れ責任者。けれど今は出入り禁止の身。あのガラクタ小屋「サイバークライム実験場(クライム・ラボ)」に収まるべきブツの扱いについて、一番精通しているのはGEEのアシスタント、つまり自分である。一介の、末端の、嘱託事務員。けれど——しっかりしなきゃ。
そんな風に考え事をしながら歩いたせいで、駐車場にたたずむ人影に気づくのが随分と遅れた。
「……お!?」
車のフロントグリル前に、こざっぱりした理系男が立っている。
それで目が覚めた。「お……おはようキツネ丼。どした?」
「今朝はどちらへご出勤ですか?」香坂の表情は険しい。「霞ヶ関? 国分寺? それとも……僕に言えないようなところ?」
棘のある物言いに有華は苛立ちを覚えた。どうやらバスの件を聞き出したいらしい。
「ん……その件は、いつか話すよ。乗ってくか? 今日は霞ヶ関だし」
軽くあしらいつつ運転席側のドアに歩み寄り、鍵を差し込もうとした——途端。
香坂は車のボンネットを両手でどん、と叩いた。
「おい。緒方はいい奴なんだろ!」
「……え」
「あいつが、口止めされているからって顔をまっ赤にしてるのは、見るに堪えなかったぞ」いつも穏やかな秀才の顔に、はっきりと怒りが刻まれていた。「君のせいだとしたら酷い仕打ちだ。男として、見逃せないっ」
その日、合同庁舎二号館の一階食堂では、早々に「三者会談」が開かれた。香坂、緒方、そして有華。こうやって会うのは久しぶりの事である。
「ふむ」
香坂は腕組をしたまま瞼を閉じて言った。「……ギィさんは青いPCのハックに成功して、それらしいデータを引っこ抜いた。でもそれはハッキングだから証拠能力がない。警察は動けない。けれど、もしもそのPCを合法的に押収できたら、形成逆転が望める……そういうことか」
「そういうことです……ハハ」
緒方は苦々しく笑い、幼なじみの表情をうかがう。さっきから有華があまりにも大人しい。朝から香坂とやりあったのが相当応えているようだ。
「にしても、わからん」香坂は片目を開けて言った。「ギィさんの名誉挽回のための真犯人捜し……それをどうして僕に内緒にしていたのかが、さっぱりわからない」
「だって……」有華はうつむいて言った。「バスの件って電網庁に直接関係ないじゃん。キツネ丼は毎日忙しそうだったし」
「元はといえば俺に始まった事……じゃなくて」緒方は慌ててとり繕う。「け、警視庁に始まった事だからな」
香坂は片目だけを開いたまま、口角を持ち上げた。
「なぁ、この一件……電網庁に関係あるといったら、驚くか?」
「え……ええ!?」有華が、黒目がちな瞳を限界まで見開く。
「そうなの?」小柄な緒方の座高が、座ったままでちょっぴり伸びる。
「関係がある、というか……関係を、作る」
呉服モデルあがりの男が、顎をあげた。
不敵な笑みを浮かべている。「青いPCが手に入ればいいんだろう?」