第2話(八):葛飾区:東新小岩:夜

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 島﨑をその場に残し、甲斐原は二階へと上がった。自動車工場にしてはラグジュアリーな応接間があって、ふかふかのカーペットにソファセットが揃っている。
 秘密のたまり場。そこに大事な客人を待たせてあった。
 甲斐原がドアを開けた途端、ソファの上にあぐらをかき瞑想していた開衿アロハシャツの男が、ぱっちりと瞼を開いた。
「待ちました?」と甲斐原。
「……待った。しかし」男は笑って言った。「待つのは平気だ。美味い話なら何時間待ったっておつりがくる。こないだの五千万には痺れたからな」
 空いたソファの一つに、白くつやのある革製ハンドバッグが置かれていた。口が開いたままだ。何かを放り込まれても、男は気づかないに違いない。ヤクザは不用意だと思う。
 一方で甲斐原は肩から斜めに提げていたバッグを外さず、そのままソファに座った。「人選の方、進んでます?」
「三人用意した。ま、どいつもそれなりだ……」ガラステーブルの上に三枚、写真がならんでいた。「……こいつはパチンコ、こいつは競馬。こいつは女で首が回らん。平均で五百万の借金ってとこだな。なんでもやるぜ」
「こないだの人たちとは違いますね」
「あいつらは潤ったからなぁ……ま、クズの代わりは幾らでもいるさ」
「運転はどうです? ……技術としては」
「そりゃあ折紙付だ。奴隷は何百人といるが、厳選したよ。但し」
「但し?」
「……秘密を守らせて、しかも確実に実行できるようにしようと思ったら、ウチの若いのを三人つけておいたほうがいい。つまり貸し出しは六人。どうせ助手席が空いてるだろ?」
「お値段的には」
「追加料金ナシだ」
「込み込みなら問題ないです」
「へへ……」男が笑うと十八金の歯が光った。「にしてもスゲぇな。まさか次があるとは……示談成立って噂だが、それがお気に召さないか」
 甲斐原は苦笑した。「さすがですね」 
「詮索はしねぇさ。クルマ転がして、決まった相手に併走するだけ……妨害される事もないし、足もつかない。こんな楽な仕事ねぇもんな? 是非ともお引き受けしてぇよ」
「リスクの低さがウチの〈企画〉の売りですからね」
「その〈企画〉だが……他にも手当が必要なんじゃないのか?」
 もっと〈作業〉があるなら引き受ける。引き受けたい。そういう申し出だ。
 甲斐原は丁重に断った。「席が一杯なんです……車窃盗系のエキスパートなんかも参画してて……なんというか、デカいヤマなので人が集まり過ぎちゃった」
「ブロウメンの手は汚れないってか?」
「ですね。俺たちはあくまで企画運営のみ」
「手を汚さないってなぁ、夢だな、夢。まったく、オタクのボスには一度会ってみてぇよ」
「パケット・バケットですか」甲斐原は少しムッとして言った。「ボスではないです。俺たちは共同体ですから」
「ハッカー万歳ってとこだな……いや、違うか。ブロウメン万歳、か」
 ただのハッカーと、名前が売れたハッカーとでは収入に雲泥の差がある。そういう指摘であった。裏社会では――裏社会こそ――信用と実績が第一である。
「売れちゃいましたからね。昔は企画力だけでした……マーケットに上がった案件に、アイデアを投じるだけの。けど最近は、おかげさまで実行力も証明された」
「マーケットって、例のアレか……名前忘れちゃったなぁ……なんだっけ?」
 アロハシャツは笑っている。サイバー犯罪者の巣窟、『牙城(ストロングホールズ)』の存在を知りながら、うわべでとぼけている。甲斐原は微笑んだが腹の中では警戒を解かなかった。大手の暴力団があのコミュニティに目をつけ、入り込むことは避けられない。だが図に乗せてはならない。下手をすれば自分たちのスポンサーをかっさらう。その上、警察まで引き連れてくるのだ。
 その点、牙城の「貢献度ランキング」は堅牢である。ヤクザだろうが警察だろうが、〈作業〉で実績を積まなければ末端の情報しか得られない。こっちは何歩も先を行っている。この距離感をキープすればいい。
「……ネットの方は任せておいてくださいよ。大きな案件があれば、必ず、こちらから直に声をかけます」
 最近じゃ、ブロウメン絡みの案件が一番大きいですけどね。そう付け加えると、アロハ男は金歯を見せつけてニタリと笑った。
「金づるの方から歩いて来るってか……羨ましい限りだ。お客は海外かな?」
「…………ご想像にお任せします」
「そういえば聞いたぜ? アフガンと取引があるって話。つっても……アフガン直ってこたぁ、ねぇだろうしな。香港経由か? シンガポール?」
 甲斐原は口をへの字に結んだ。「……お答えできません」
「前回と今回でスポンサーは同じなのか? 別口じゃねぇのか?」
「……………………」
 沈黙に耐えかねてアロハ男はあぐらを解いた。膝をパチンと叩き、それからローファーに足を入れる。
「あーあ。ビジネス上手で仕掛けも一流ってのは、恐れ入るよぉ。ハッカー様のやり口、楽しみにしてる」
 立ち上がろうとする男を制止するように甲斐原は言った。
「そうだ。修学旅行の件、お察しのとおり生徒の遺族はもっとゴネてくれたほうがいい。折り合いがついちゃうと企画倒れになりかねない。もう少しやれますか? ……ベガスいじめ」
 追加で何か〈作業〉を与えておこう。その方がいい。甲斐原はそう勝手に判断した。pack8back8に相談など必要ない。時には俺の独断専行でも。
「いいね。盛大にかき回してやるよ……この件が終わってからでもいいか?」
「遅くないと思います。料金は?」
「そっちはサービスでいいぜ。嫌がらせは朝飯前だ。仲良くしようや」
「……助かります」
「ここだけの話、俺も二桁殺(ヤ)ったヤマは生涯初でな」男は革製のハンドバッグに噛みつくような仕草をして、おどけた。「血が騒ぐのさ」
 

“第2話(八):葛飾区:東新小岩:夜” への3件のフィードバック

  1. ご指摘あった誤植を直しました。 

    誤)警察まで引きつけれて
    正)警察まで引き連れて

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