第1話(六)

 十和田美鶴は荒れていた。
 ソファで煙草を煽ると灰皿に捨て、間髪いれず次の一本に火を点す。
 その灰皿をひっくり返す勢いでガラステーブルを蹴る。
「……殺す。殺してやる、あの野郎」悪態をつく。
 それでも気分は晴れない。愛らしいルームメイトが、甲斐甲斐しく吸い殻を拾いあげる。そんな姿さえ気にくわなかった。
 だから、わざと灰の塊を足裏で潰し、フローリングの床にこすりつけた。
「何が電網ゼロ種だ。ざけんなっ」
「でもクビじゃないんでしょ? 今、余計な事したら危ないよ……痛っ」
 指を踏まれたルームメイトが悲しい声を出す。
 繭という名にふさわしい、少女のごとき儚さを湛えた、憂いのある瞳で見つめてくる。
 それでも美鶴は手加減しない。あえて辛くあたる。いつもなら怪我をしない程度に言葉で。今日は怪我をさせたいと思うから、身体で。そうしなければ気分が収まらない。
 美鶴はソファからずり落ちて、わざと床に座り込んだ。ルームメイトが抱き寄せてくれるという計算があった。案の定、細い腕が自分の身体に絡みついてくる。
 待ってましたと、美鶴は愛らしい手の甲に煙草の先端を押しつけた。
 じゅっ、と音。
「ひっ」悲鳴は小さかった。
「熱い?」
 ルームメイトが手を引っ込める。当たり前のリアクションだ。
 それが気にくわなくて。
 かわいいと思えなくて。
 だから今度は、柔らかそうな頬を強く平手打ちした。眼鏡のフレームが曲がることまで計算に入れながら。痛いだろう、と思いながら。
 大きな悲鳴を期待して――二度、三度。
「顔……だめっ」ルームメイトは痛いと言わなかった。
「キモチいいくせに」
「仕事、行けなくなるからっ」
「私のこと嫌い?」
 そうたずねれば、いつでも首を横に振る。
「好き?」
 そうたずねれば、いつでも縦に。
 美鶴は満足して立ち上がり、缶ビールをあけてテーブルの上に置いた。「謹慎処分だってぇ。飲もうよ、まゆちん」
 そう言ってテーブルを蹴り、缶を倒す。遠ざけるように。
 こぼれおちた琥珀が泡立ち、透明な天板を覆っていく。それをすすれという意味を察して、相手が唇を近づける。
 だが美鶴は許さない。テーブルの上に仁王立ちになり、するりと下着を脱いで、放り出した。
「はい」
 下腹部から放たれる、異なる類の琥珀色の汁気。それがガラスの上で酒と混ざり合う様を見せつける。すると。
 ルームメイトはテーブルに顔を近づけ、舌を伸ばし、一口、二口と舐め取った。それから顎をあげ、これでいいのかと目で訴えた。
 そのときだ。ようやく「かわいい」と思えたのは。
 美鶴は激しい衝動に襲われ、ガラステーブルから降りるや否や、繭を強く抱きよせた。
 よじれた眼鏡を外させることもせず、噛みつくように唇をあわせた。
 自分がわざわざ穢しておいた、その可憐な舌を猛烈にすすった。

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