第1話(四)

 駐車場付の大型スーパーで十人分はあるだろう買い物を済ませ、香坂一希と常代有華は二人がかりでロータス・エクセルのトランクに積み込んだ。
 後部座席を覆う暗幕に首をかしげつつ、香坂はさほど詮索もせずに助手席に収まった。歓迎会の場所は新宿だと聞いて、ありがたいと思う。自分の住処は公務員宿舎で、場所は初台。酔いつぶれてしまっても、どうにか歩いて帰れるだろう。
 それにしても。 
 運転席で二十歳そこそこのOLが豪快にマニュアルシフトをこなす様は圧巻だ。束ねた髪の長いウェーブ、黒目がちな瞳と蠱惑的な鼻から顎の凹凸、よどみのない動きと猫のようなしなやかさは女らしい曲率をまとっている。有り体にいってオフィスに居る時よりも華がある。その一方、ひとたびシートにおさまればスカートの裾は微塵も気にしない。
 クラッチを切る左足がやや高く上がるので、目のやり場に困る。
「……すばらしい車だなぁ」いろんな意味を込めて香坂は称賛した。
「ボロい車の間違いだ」有華は事もなげに返す。
「僕、車に詳しくないからわからないんですけど、これ高い車なんですか」
「相場だと二〇……三〇万ぐらいかなぁ。修理代のほうが高くつくよ」
「……そうだ。トランスミッションジャッキなんて、男の子に生まれても知りませんから。それは声を大にして言いたい」
「そんなこと言ったっけ、アタシ」
「調べましたよ。車の修理工具ですか」
「実家が修理工場やってんの。レストアってわかる? ポンコツの中古車を修理して塗装して、ビンテージとして高く売る商売」
「手伝ったりしてた?」
「してた。怒鳴られまくりでさぁ。バラした車を元に戻すとか、ビス一本、順序間違えられないから」
「……ふむ」香坂は納得した。「凄腕の段取り娘が育つわけだ」
 鞄を開け、おもむろにノートPCを取り出し、電源を投じる。香坂は記憶があるうちに、何でもメモに残す癖がある。
「凄いね。なんかやっぱ、違うな」有華が笑った。
「何が?」
「香坂……さん、高学歴オーラ出てる。私なんてもー、活字とかマジ辛くて。レポートまとめるとか、信じられない」
 香坂は助手席で喜びを感じた。自分が褒められたからではない。怒った顔より笑った顔の方が何倍も魅力的な常代有華の、黒目がちな瞳がキラキラ輝く様は目の保養になるからだ。
 そういえば、彼女の瞳にはあの色が現れない。どうやら勉強ができる人間を恨めしく思ったり、反発する気性ではないらしい。けれど――。
「あのう」
「何?」
「さん付け、いらないですよ。新人だから、呼び捨てで全然オーケー」
 図に乗るべきじゃない、と香坂は自ら戒めた。
「そ……そうもいかないし。歳上だし」
「いいですよ。後輩になります」
「後輩じゃないっす。所属ぜんぜん違うし。呼び捨ては……まずいよ」
「じゃ、ハンドルネームで」
「ハンドルネーム……」
「ネットで使う偽名。僕、ギオンギツネって名乗ってるんです。京都の祇園、動物の狐。仲間内では単に狐とか、狐君って呼ばれてる」
 京都出身という意味でも、気に入っている通り名だ。変わった仇名をつけられるより、キツネ呼ばわりされるのが性に合う。
 すると。
「キツネくん!?」有華は過剰に反応した。「ききき、キツネって何食べるんだっけか。そこらへんの葉っぱをむしゃむしゃ……?」
「ネコ目イヌ科イヌ亜科。肉食いますよたぶん」
「に、肉食なのかっ」
 香坂の目には、彼女が赤面したように見えた。理由はよくわからない。
「ダメですか? 祇園狐」
「だだだダメっていうか、ほ、本人がそう言うなら、しょうがないっていうか」
「好きにアレンジしてください。大学じゃ後輩からも、キツネ丼とか、キツネうどんとか、適当に……」
 そこで矛先が変わる。
「ん!? キツネ丼……って何」
「知らんの? じゃなかった。知らないですか?」
「あ、出た! 京都弁だっ。知らんの? あはは。教えて! 京都、興味あるっ。キツネ丼って何?」
「き……キツネ丼は、お揚げさんを乗せた丼ぶり物……あ」
「お揚げさん!? お揚げさんって何!? 何?!」有華はどんどんヒートアップする。
 方言をいじられて、今度は香坂が赤面した。
「……ええと、油揚げ、か。油揚げを甘辛く味付け……」
「へー。油揚げにまで『お』とか『さん』とか付けるんだ。京都すげー。そっか……私、めっちゃ失礼でしたね香坂、さん?」
「いいですよ。キツネ丼で」
「ねー、キツネ丼」
「はい」
「きつねど~ん。あ、伸ばすとイイ。西郷ど~ん、みたいな?」
「九州……行っちゃいましたか」

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