第1話(三)

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 会議室を出た香坂は、廊下を歩きつつ、前を行く有華の背中を黙って眺めていた。
 かけるべき言葉がみつからない。
 常代有華。総務省傘下の研究機関NICTの職員。彼女は地方公務員ですらない。正真正銘のOLだが訳あって特命課――公安局と行動を共にしている。
 彼女に対する評価は不当だと香坂は感じた。引越の段取り、新人の受け入れ、そして大捕物。獅子奮迅の活躍ぶりながら、しかし出入り業者相当の扱いに甘んじている。明らかに正規職員なみか、それ以上の働きぶりだというのに。
 もしかしたら資格に問題があるのかもしれない。電網庁の職員に必須とされる電網一種は難関。一方で彼女は首から提げたカードホルダの先端をポケットにしまいこんでいる。種別を晒して歩くのが恥ずかしいのだとしたら、一種ではないということか。有り体にいって勉強机に腰を据える気性ではなさそうだし――
(おっと……そんな想像は失礼だぞ……にしても)
 彼女の能力は資格なんかじゃ測れないと香坂は思った。直感力と行動力が並外れている。何故だろう。どんな子供時代をおくれば、ああなるのだろう。
 香坂は、自分があの野性の華に相当な関心を寄せていることに気がついた。訊きたいことが山ほどある。特に不可解なのはトイレの件。
 そう思った矢先。
 廊下の途上で彼女の背中を見失った。
「あ……あれ? ゆかりん? 常代さん?」

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 青年の預かり知らないところで、段取り娘は給湯室に引っ張り込まれていた。
 先輩女子の二人組に口を、手足を押さえ込まれている。
「(むぐぐぐぐぐ!)」
 一人は長髪で、一人はショートボブ。髪の長い方の眼鏡アラフォー、通称ナナさんは百七十センチはあろう大柄。ど迫力グラマーのアラサー、通称ゆりっしーはジム通いの筋肉質。この二人に襲われれば抵抗は諦めるべきだ。
「ちょっとちょっとちょっとぉおお」四十路の親分が耳元で囁いた。
「何よぉ何よ何ィ」三十路の子分が畳みかける。
 二人は公務員ではなく出入り業者。方や事務用品の配送兼営業、方や御菓子のデリバリー。明るいシモネタ美女コンビとして堅物官僚たちのハートを掴んでいる。
「ぷはっ」有華はナナの手を払いのけた。「何でもない! 何でもない! 何も言うことはないっ」
「なんでもなくは、ないでしょうよ」ナナは片眉をひょいと上げた。「配属初日のイケメンをいきなり女子トイレに連れ込むなんて、正気の沙汰とは思えんぞ。アラフォーじゃなくても興奮するし」
「……すっげー誤解だ」有華は呆れた。
「連れ込んだまではいいけどォ、空きがなくて困ったんだってぇ?」ゆりっしーは髪を振り乱す。「うがぁー! あああ、アラサーだから、飢えてるから興奮するのかなぁ、でへへ」
「くっ……二十代前半ですけど、興奮なんてしないからっ! 説明させろ!」
 三人は給湯室からこっそり顔を出した。
 そうとは気づかず廊下を通り過ぎる、イケメン新人の横顔を眺めている。
「一〇五点。いきなり堅物の有華ゲットは超絶テク。人知を超える存在」ゆりっしーは鼻息が荒い。
「いや、違うな。いきなり有華ゲットは凄い。凄すぎてけしからんから減点すべし」ナナの表情は真剣だ。
「減点、了解です先輩。でも興奮しすぎて計算間違いしますぅ二〇〇点」ゆりっしーが呆けた顔をさらす。
「に、二〇〇点! 二人分!? ……ハァハァ、ぜ、絶倫認定っ」ナナは真剣な表情のまま鼻の穴をぱくぱくと開く。
「あーもー馬鹿ばっかだ」
 ノリの悪い有華の髪を、ナナがくしゃくしゃといじる。
「イケメンだってことぐらい、認めなさいよ。ほら、性欲強そうな鼻のカタチしてんじゃん。虎だね。虎君で決定」
 二人組は官僚達を動物に置き換え、隠語で噂を楽しむ癖がある。ゾウガメは長生きしそうだから結婚相手としては面倒だの、メガネザルは家族思いだろうから浮気しそうにないだの、と。
「せんぱぁい、香坂はライオン君じゃないですかねぇ」
「何……百獣の王! くわっ、キタコレっ」
 興奮冷めやらぬ二人を相手に、有華は一言もの申した。
「ねー、肉食獣に例えるのはやめませんか、お姉様方……希望的観測でしょ? どっちかってぇと、香坂は草食系だ」
 ナナとゆりっしーは下卑た笑いで、有華を挟み撃ちにした。
「あなたに決めさせてあげますわよ、ゆ・か・り・ん。香坂はワンちゃん? 猫ちゃん? ツキノワグマ? グリズリー? 担当飼育員の、手応えで決めてよし」
「わぁ……飼育員いいなあ……狼? ハイエナ? ちなみにパンダも肉食だから考慮してぇ」
「知らん、知らない、知りませんっ」

“第1話(三)” への1件のフィードバック

  1. 読者様からご指摘があって、誤字を直しました。

    誤)最期の質問
    正)最後の質問

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