第1話(三)

 二百席分はありそうな大会議室。
 その片隅で、フィッシング詐欺の嫌疑をかけられた女性職員と、その上司が静かに対峙していた。
「言い訳を聞きたいところですが、君のバッグから行方不明の、そして機密扱いのポータブルアンテナが見つかってしまった。どうにもならないよね」
 電網庁開発局局次長は、きっぱりと言った。名を垂水昂市という。
「……はい」
 十和田美鶴はしおらしく返答した。おなじく開発局に所属、肩書きは技師。ありていに言えば職業ハッカーだ。
 第一発見者として垂水の隣に控えていた香坂は、十和田の表情に反省の色がないと思った。一見神妙にみえるけれど、怒りを堪えているように感じられる。
「それでも言い訳したい?」垂水は問うた。
「……出来心で。すいませんでした」
「君のノートPC、調べさせてもらうよ。ところで、もしも全てがマルウェア(悪意のあるソフトウェア)の仕業だ……なんて主張するつもりなら、諦めたほうがいい」
 十和田美鶴が唇を噛む。肩が震えていた。
 サイバー犯罪においては「他人にPCを乗っ取られ、遠隔操作されていた。その証拠に、PCからマルウェアがみつかった」と主張することで、無罪放免になるケースが存在する。もちろん当人が自らマルウェア――いわゆるスパイウェアをインストールするといった「自作自演」である可能性も否定できない。結果裁判は紛糾し、判決の行方はグレーゾーンを漂うことになる。
 その対策として電網免許制度は編み出された。使われたPCや携帯電話の「正規所有者」に厳しく責任を問うための立法だ。免許証による認証動作が歯止めになり、安易な貸し借りも許されないので、「ネット経由で知らない誰かが、勝手に悪いプログラムを自分のPCへ放り込みました」といった言い逃れは難しい。
 ましてや彼女は電網1種。スパイウェアに操られたとしても、免責されない立場にある。
「ログインしたのは君で、使われたのは君自身のカードだろう?」
 垂水はいやらしい訊き方をする。
 聞くまでもないだろうに、と香坂は思った。認証プロセスを経れば、あるネット機器が誰の免許でログインされ、どの時間帯にどんな用途で使われたのか、電網庁のサーバーは仔細まで掌握できる筈だ。ログを握っているのは垂水の側。自分が十和田美鶴の立場なら、取り繕うのを諦める。
 きっと局次長は彼女を煽りたいのだろう。感情的にさせて、性根を引き出したいのだ――と香坂は読んだ。
「……私のカードで認証しました。私のやったことです」
 十和田は抵抗しなかった。傷口を広げない賢明なやり方だ。
「じゃ、こっちから幾つか質問させてもらうね。まず、あなたはあなたの意思で、0種の番号を収拾しようと思ったの? まったく個人的な趣味として?」
「……はい」
 垂水は履歴書を手にしていた。「十和田美鶴。三ヶ月前まで都内のIX(インターネット・エクスチェンジ)に勤務。そのIXが電網庁に統合されるタイミングで、経験が買われて面談の上で嘱託技師となり、一種を取得した後、現職」
「……はい」
「経歴に詐称はないよね?」
「はい」
「じゃあ教えて。このIXに残ってる職歴は二年。大学を卒業したのが五年前。空白の三年間、君はどこで、何をしていた?」
「お答え……できません」

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 のべにして一時間ほど尋問が続いた後、十和田美鶴は見張り役を付けられ、大会議室を出て行った。 
 彼女の私物――ピンク色のノートPCが机の上に残されていた。光沢のある天板が西日を弾いている。
「……これ、香坂君に解析をお願いしようかな。盗み取った番号をどこかへ転送していないか、電子メールの履歴等々をレポートにまとめてほしい」
 部屋には開発局のメンバーも数名残っていた。それでも垂水局次長は、あえて新人の自分を指名する。
 香坂はとても意気に感じた。しかし。
「謹慎……処分。軽いですね」不満も覚えている。「局次長、彼女をフィッシング詐欺……不正アクセス禁止法違反に、問えませんか?」
 警察に突きだそう、という意味だ。
 局次長はパイプ椅子の背もたれを抱え、背中を丸めた。といっても相当に大柄でさほど小さく縮まない。四十過ぎにしては童顔で、二重瞼がぶ厚く眠そうに見える。
「グレーだろうね。彼女は開発局のコアなメンバーだから、今回のケースは業務の一貫に見えなくもない。警察は首をかしげると思う」
「っていうか……アンテナ泥棒じゃないですか!?」末席に控えていた常代有華が、我慢できずに声を出した。
「組織内だから背任、横領というやつだね。そんな小さな罪に問うのは損だよ……」
 垂水はやんわりと言う。だが眼光は鋭い。「……裏があるようだから、しばらく泳がせる」
 香坂はうなずいた。
「単独犯で片付けられない、というわけですね……にしても、本来の処罰はどうあるべきなんですか」
「電網1種は剥奪。一年間は5種で生活してもらう。2種以上の受験は永遠に不可能。かなりキツイ処置だ。罰として適当でしょ?」
「……罰則が適用されるのは、来年からでしたね」
「取り締まりもね。違反者の現行犯逮捕にも取り組む」
「逮捕……今日は穏便に済みましたけど、警察の協力が必要かもしれませんね」
「わかってないようだから言っとくけど……電網0種を持つということは、司法警察権を持つということだよ」
 垂水のつぶらな瞳が、じろりと香坂をにらむ。「警察官と同等の国家権力を担うんだ……君がね。自覚ある?」

“第1話(三)” への1件のフィードバック

  1. 読者様からご指摘があって、誤字を直しました。

    誤)最期の質問
    正)最後の質問

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