第2話(五):江戸川区:臨海町:午前

「おおお!?」
 助手席で緒方隼人は大きな声を出した。「……忍者だ」
 コンピューターが描き出した三頭身に満たないキャラクター、いわゆるアバターが目の前にいた。忍び装束に足袋。口元は隠れているが、ぱっちりとした大きな瞳と、大きすぎてほうきのように飛び出ている髷がアンバランスだ。
〈御初に御目にかかる。拙者、髷MAXと申す。以後、御見知り置きを〉
 手のひらサイズの忍者は片膝をついて頭をさげた——車のダッシュボードの上で。
「お……緒方です。よろしく。髷MAX? って……もしかして髷が物凄く大きいって意味?」
〈御名答。お恥ずかしい限り哉〉
 アバターの電子的な音声はイヤフォンを通じて耳に届いた。少年のような若々しい響きを持つ古風な言葉使いは、おふざけというより、実直な印象を与える。
 緒方は首を軽くかしげてみた。そもそもHMD——眼鏡タイプの透過型ディスプレイを着ける事自体が初経験。自分の頭の角度に関わらず、チビ忍者がダッシュボードにぴったりと張り付いて見えるだけでも驚く。
「すごいすごい。へー、これがARか……」
「ええか、見とけよ」
 後部座席から女ハッカーの指示が飛んだ。「髷、さっきのアレ出してんか」
〈御意〉
 チビ忍者が何かを投げた。ぼうん、と煙が出る。
 すると間もなく、緒方の視界を六人分の顔写真が埋め尽くした。
「こいつらが……そのブロウ……メン」
「ブロウメン。車専門のハッカー集団。業界では最右翼……というても、犯罪者という意味やないで。コンピューターチューニングって、わかるか?」
「チューニング……車のエンジンをパワーアップするって事?」
 運転席でマニュアルシフトに苦労しつつ、有華が言った。「……こういうボロ車じゃなくて最近の車はね、エンジンを制御するコンピューターをいじるだけで、馬力をアップしたりできるわけ」
「へー」
「で、ブロウメンはそのデータやノウハウを売買してる連中の中でも、極めつけの凄腕や」GEEは暗幕をはねあげて言った。「世界広しといえど、日本車に精通してる最強ハッカーは日本人。それも一握りしかおらん……叩いたらホコリが出る。と、ウチはにらんでる」
「出るんですか」
「実はちょっと叩いてみた。ホコリ臭かった」
「どんな風に叩いたんですか」
「教えてもええけど」
 有華が口を挟んだ。「聞くな。どうせ合法じゃないから」
「……また今度にします」
 緒方とGEEは有華の運転するロータス・エクセルに揺られ、郊外へと向かっていた。
 あの飲み会からちょうど一週間が経つ。女ハッカーはバス事案について嗅ぎ回り、自動車業界のダークサイドに——その奥底に延々と潜っていたらしい。
「この……パックエイトバックエイト? ……って奴は、写真も本名も全くわからないんですね」緒方は目を凝らした。
 件のハッカーグループについて、全員の素性が割れているわけではなさそうだ。
「パケットバケット(pack8back8)な。用心深い奴や。たぶん一番の大物で黒幕の可能性大。とりあえず、狙い目はクラムシェル(k1amShe1l)って男」
「クラムシェル……本名・甲斐原豪。どうしてこいつを?」
「車のチューニングってのはパワーのあるスポーツカーの世界や。そっちはニーズもあるし手掛けるマニアも多い。しかしな、トラックのコンピューターチューンなんてニッチもニッチ、隙間産業もええとこや。その狭ぁい世界でクラムシェルは神とあがめられている。理由は簡単、こいつはメーカーの人間や」
「職業・会社員……勤務先・ベガスカスタマーセンター江戸川第二。整備課、係長」
 髷が宙返りを決めた。すると画面いっぱいに写真が映し出される。色とりどりのトラックを膨大に停めた郊外の整備工場である。
「すご……壮観ですね」
〈さーびすせんたー江戸川第二は大型車専門也〉
「……ふむ。でもその立場にいるというだけで、疑うのはどうかと思いますが」
「フェラーリ三台持っててもか?」
「フェラーリ?」
「こいつの金回りは異常。疑われてもしょうがないで。髷、アレ見せてやって」
〈御意〉
 チビ忍者は一旦ダッシュボードの左端へと走り、巻物を解きほぐすと、それを引っ張って右へと走った。
「なんですか、これ……」
 巻物に記されている大量の文字列。
「……車検でアウトになるような違法改造の情報ばっかり晒してる、アングラの掲示板や。車種毎に分類されててな。便利やで」
「凄い数ですね」

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