創作において「説明」は悪ですが「描写」は善です。

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以下に例を示します。

A)この原子力発電所は昨年完成したばかりである。
B)原子力発電所の外壁は傷一つなく、塗りたてのペンキ臭すら漂っている。

モチーフは施設。Aは説明であり、Bは描写です。

C)栞は美少女だ。
D)栞は際だって目鼻立ちの整った少女で、色が白い上にまるで化粧したかのように頬や唇がほんのり朱く、親と同じかそれ以上に歳の離れた大人の男性を動揺させる事もしばしばあった。

モチーフは人物。Cは説明、Dは描写です。

さて、こう考えると「サイバー文芸」の範疇でも例を考えたくなります。
モチーフはプログラマにしてみましょう。

E)サトシは品質の高いコードを書くプログラマだ。
F)サトシのコードは高級言語を用いながら実行速度が速く、コンパイル後にまで配慮の行き届いた優れ物であった。

!? 長いだけじゃん!と言われそうでしょ (@_@;) ……EもFも説明臭い気がします。どうやら描写というものは基本的に五感に訴えなければ駄目。だからFも中途半端なのです。

G)サトシのコードはとにかく「速い」。CPUの気分を汲んで動くような、通好みで気の利いた処理しか使わないからだ。

ここまでくればOKでしょうかね。まぁ難しいです。小説家泣かせというか……(ここらへんが、前に書いた「サイバー文芸の壁」です)

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