僕が勝手に命名した「バカシコ」システムについてお話しします。
よく推理小説とかドラマで「探偵」と「聞き役」が会話していますよね。あれ、小難しい説明をどうしても入れたいときは重宝するんです。「馬鹿」と「賢い人」が交互に喋るので「バカシコ」と名付けました。
おおむね人間は「説明される」のを嫌います。一方的に興味の持てない知らないことをぐだぐだ言われると、嫌気がさす。小説でも映画でも、説教とか説明は1秒でも読みたくない・聞きたくない。ですが、説教や説明の対象を観客や読者ではなく「登場人物の阿呆」にしておくと、少しだけ耐えてもらえるようです(あくまで少しです)。物事の込み入った事情を整理して観客に届けるべき時は「バカシコ」を活用しましょう。アガサ・クリスティに倣いましょう。
補足:ちなみにバカシコはセリフ回しとは限りません。以下に例を示します。どれが正解かは考えて下さい。
1)
栞は写真を撮るのが好きな少女だ。そして緊張が高まると呼吸が止まる癖を持っている。写真家としてみればその癖は良い方に作用する可能性がある。彼女の両親は娘の才能を見出しつつ、人としての将来はむしろ案じていた。
2)
栞という少女は緊張が高まると呼吸が止まっていることにすら気づけない。それを集中力と言い換えるなら写真家として類い希な才能の持ち主だろう。しかし人として無能という言い方も、また当を得たものといえる。自分がこの子の親だったら心配でしょうがないぞ、と和夫は思う。
3)
「栞は緊張すると呼吸が止まる子なんだ」
「知らなかったよ」
「集中力はあるといえばある。けど、人としてはどうかと思うんだ」
「確かにね」
4)
「栞という子な……シャッター切る時に息してないって評判だ」
「お言葉ですけど先輩……俺だってそうしますよ。手ぶれしたくない時は特に」
「じゃなくて……あの子の場合は、勝手に呼吸が止まるんだと。そういう癖というか体質らしい」
「なるほど……才能あるって言い方も、できますけど……」
「人として無能って言い方もまた、できるわけさ」
アウト気味なのを混ぜておきました。読者に「説明されている被害者意識」を持たせない工夫ができていると思われるのは、さてどれでしょう。「ト書きだから云々」「セリフだから云々」というわけでもないということは、この例で明かになったと思います。
#ちなみに小説における「(事柄の)説明」と「(状況)描写」はまったく違うので、いっしょくたにしないことが大事です。次の項で例を示します。