「サイバー文芸」は廃れたのか?
サイバーは「インターネットの…」あるいは「コンピューターの…」といった接頭辞として用いられる言葉です。サイバースペース、サイバーテロといった使い方が成されます。私が考える「サイバー文芸」は、単純にそういった語彙、あるいはそこから派生する表現に充ち満ちた創作群を指しています。かような創作は数多く知られていますが、あらためて「サイバー文芸」と名乗るような捉まえ方はされていないように思います。このブログでは「サイバーな表現」を好む作家・吾奏自身が、サイバーを感じさせる創作全般について思うところを綴り、サイバー文芸の可能性を探っていこうと思います。
そもそもコミックやアニメでは「攻殻機動隊」が牽引役となり、SF的なサイバー表現は定着した感があります。実写映画では古いところでいうと「2001年宇宙の旅」のHAL9000に始まり、近年では「マトリックス」三部作が代表的。SF小説は「ブレードランナー」のフィリップ・K・ディックや「ニューロマンサー」のウィリアム・ギブスンを中心としたサイバーパンクと呼ばれるムーヴメントが一時隆盛を極めました。(私の定義では「ブレードランナー」はサイバー文芸と呼べるかどうか微妙です)昨今では、SFとしてのサイバー表現は廃れつつある、とさえ考えている人もいます。
しかし、未来ではなく現代を舞台に描かれたサイバー創作に限っていえば、ヒット作に乏しい。と同時に、サイバー表現そのものがジャンル小説になったというムードもありません。ミステリとサイバー表現を結合させた作家としてヒットを飛ばした森博嗣も、味付けとしてサイバー表現を用いるだけで、サイバーな事象が中核のテーマになった作品はお目にかかりません。(あるのかもしれませんが、有名ではない)
一方、私が注目したいのは「電脳コイル」や「サマーウォーズ」といった(いずれもアニメですが)、SFやミステリの味付けより人間ドラマの味付けが勝る、現代劇の作品です。こういった「未来ではなく今を舞台とした」創作の流れの中に、もしかしたら「サイバー文芸」なるものの新しい可能性が広がっているのではないかと考えています。そして吾奏も、作家としてこちらを志向しております。
当方、かつて5年間ほどプログラマを生業にしておりましたが映像業界に転身、以来創作稼業に勤しんでおります。変わったバックボーンを持つ作家として活動を模索しており、もがき苦しむ過程をこのブログに綴っていこうかと考えています。